ロンドン・リスボン・パリ三都周遊旅行 第五日 | Gon のあれこれ

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

今日は日曜日。観光も食事もそれなりの混雑を覚悟しなければならない日である。
覚悟は朝の第一歩から、などと書くと説話になるので、肩肘張らずに進めたい。

今朝は少し肌寒かったので、ホテル内の、申し訳程度に「あります」という、ウオーキングマシンや自転車こぎがそれそれ一台プラスαのレベルのジムでスタート。そこで10分余りブリスク・ウオーキングの後、屋外に出ていつものウオームアップと套路練習。
練習は逐一テーマがあって行うもの。が、たまに 足早に近づいては離れる人や遠くで奇声を上げる者に注意を分散されて、思うようには行かぬ。これではいかぬ、と思いつつ最後まで楊氏85を流す。

リスボン最後の滞在を、見残した場所やシントラ行きに過ごす予定で始める。

ペソアの事跡は先日のジェロニモ修道院や「ペソアの家」で一部済ませたが見残しも多い。
よって、ロシオ駅のエスカレーターを借用して先ずは「largo de Carmo」へ。

此処はペソアの勤め先があったとところ。
誠に小さなLargo,広場であるがリスボンには無数にある。

その勤め先から、彼がよく通りを眺めながらカフェを飲んだ「ブラジリエ」100メートルも離れていない。
今日も沢山の人が彼の像と写真に収まっている。
と、ローティンの女の子が、タブレットを本に見立ててポーズをとって写真に収まる。
ちゃんとペソアの何たるかを理解しているではないか!

更に南に7~80メートルのところには、彼が生まれた家がある広場「Largo da Sao Carlos」がある。
ここも50メートル四方ぐらいの広さだが、カフェがある。
一角には首から上が開きかけの本になっている大きな立像がある。
ペソアに関連するのだろうか?と一周するが、何も書いていない。

ペソアの事跡は一応辿れたのでロシオ駅にもどる。
その途中に大きなショッピングセンターがあり、音楽関係の店でファドやテレーザ・サルグエイロのCDを探す。
彼女のCD、店員さんが探してくれたが「在庫なし」、残念!
代わりにアマデウス時代のDVDがあったので再生ダメもとで買う。
いろいろ見て回っていると4枚組の「the best of FADO」が19.88ユーロで、なんとその近くには「FERNANDO PESSOA O FADO]が15ユーロで売っている。
なんという幸運!と有無を言わずに買う。

センターの出口に小さなチョコレート菓子屋さんがあり、ちょっと変わったものをリスボン土産に何点か購入。

ホテルに一旦戻って昼を持参のインスタント麺ですませ、午後のシントラ・カスカイスの観光に出かける。
オーストラリア、スリランカ、スペインなど15人あまりの国際混乗。
ガイドの老婦人は英語とスペイン語で案内する。
日曜とあってマイカーで大変な混雑。
近くの漁村カスカイスは今や大リゾート地。
わずか10分休憩の後、大西洋に沈む夕日を横に、やがて背に受けながらリスボンに戻る。

ホテルの近くまで送ってもらった後、客室で一休みして、ピノッキオに出かける。
屋内のテーブルに予約の札があるが、7時の時点では我々のみ。
メニューも昨晩の「SANCHO」と変わりないが、期待度は遥かに高い。

スープ、サラダ、パエリア、フィレステーキなどを頼んでビールを飲みながら待つ。
新鮮な野菜サラダは久しぶりで、目が洗われたような気になる。
パエリアもフィゲイロ広場の呼び込みに釣られて入ったところとは、中味も内容も段違い。

やはり予め行きたいところをチェックして、ホテルに予約を頼むべきである。

十分に満足してホテル帰ってブログを書き始めるが、
お腹の満腹感が、脳に余計な活動を休止するようしきりに促して、続けることが出来ぬ。

よって、途中からは翌9日午前4時から書き足した次第。
今は4時半。まだ一眠りは出来るだろう。