マイク・リー監督 ティモシー・スポール主演 「ターナー 光に愛を求めて」 | Gon のあれこれ

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ターナー(1775-1851)は言うまでも無く英国が生んだ最高峰の風景画家であるが、私の脳中では”幻想画家”である。

対象の輪郭が光の中で周囲に溶け込み幻想的な光景をかもしだしている故だが、かつては最も好きな画家のひとりであった。
96年、プライベート旅行でロンドンの
ナショナル・ギャラリーとテートでターナーを充分に堪能して、その熱は沈静化したのだが、その理由を この映画を見て解ったような気がする。

映画はターナーの晩年、既にロイヤルアカデミーの重鎮として,あるいは教授として既に声望を得ているが、それでもなお 激しい創作欲が新たな作品、新たな作風へと駆り立てていく。
主演のティモシー・スポールはターナーの自画像に似せたメイクアップである。

しかし、実像は友人チャールズの書いた肖像画に近いとされる。

幼いとき母親を精神病院で亡くし、理髪師の父に男手ひとつで育てられた。しかし父は知性に恵まれた人でターナーに読み書きを教え、ロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学、1799年には24歳の若さで準会員に抜擢されるのである。
明確な輪郭と遠近法に基づく初期の絵画は、いわば誰にも理解されやすいものであったが、作風が変化した絵、私が好きな幻想的な絵画

「雨、蒸気速力」や、嵐の中、自らを帆船のマストに縛り付けた体験を基に描いたとされる


絵は、時のビクトリア女王(在位1837-1901)を始め、必ずしも好意的に迎えられたわけではなかったようである。

映画の中で、彼のスポンサーであり理解者でもあったラスキン親子が出てくる。ジョン・ラスキン(1819-1900)は19世紀英国を代表する批評家であるが、私には「建築の七灯」の印象が強く、2000年、ハイランドのアバディーンでレンタカーを借りて、エディンバラから湖水地方、リバプール、ダービー、コッツウオルズ、オクスフォードなどを10日間1000マイルの自動車旅行をしたとき、湖水地方のブランとウッドにある彼の旧居を訪ねたのだが、そこでのターナーに関連した記憶はない。
また、マイク・リー監督のラスキンに対する視線もなにか厳しいものを感じるが、それはターナーの唯一の裸婦の絵をラスキンが所有したうえで、その題材がターナーに相応しくない、として焼却したとされるが、その彼の傲慢さが気に入らなかったのかもしれない。

ターナーは若い頃ある寡婦と二人の娘をもうけたが、公的にはその存在を否定し続けた。
ロンドンのアトリエで家政婦の女性と時々情交するが、画題を求めてロンドン郊外のマーゲイトに行くが、そこで取った宿の女将が寡婦になった時に彼女を口説いて同棲する。
ビクトリア朝時代は、性道徳が厳格で、フロイトはそれが女性の「ヒステリー」の原因であると分析したが、この映画を見る限りそれ程厳格とも思えない。現在では反面売春や児童労働、労働者階級の搾取などの横行した事などから、偽善的な道徳基準であった、との評価である。

病を得た時、医者に死の準備をするように促されてターナーは、手元にあったすべての作品を国に寄贈する。
それは、広く一般大衆に、自分の絵を一堂に鑑賞してもらいたかったゆえである。

そうなのだ。
ギャラリーの一室をすべてターナーの絵で鑑賞する時、彼の描きたかったもの、その手法の変化などが自ずと理解できるように思える。
私が、ターナーをナショナルギャラリーやテートで、そこでしか味わえないものとして記憶の底に留めたとしたら、それは場所の記憶として代替の利かない一回性のものゆえに、再現の希望を抱く必要のないものであったのだ。

もちろん再び訪れる意欲と機会があれば、それはまた新たな、別の「場所の記憶」になるだろう。

主役のティモシー・スポールはこの演技で2014年カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した。

参考:ジョゼフ・マロード・ウイリアム・ターナー
18世紀に流行した特定の場所の景観を表した地誌的水彩画を描く事から出発して、おびただしい数の油彩や水彩や素描の風景画を残した。(中略)そうした多彩な活動の基本にあったのは光の表現に対する飽くことのない情熱である。彼は夕べの光、朝の光、月の光、嵐の最中に射す一条の日の光、会場の船の灯火の光、火災の火の光、蒸気機関の石炭の燃える光などのあらゆる種類の光に魅せられ、生涯にわたってそれらを風景の中に描き続けた。



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同書p133より