展覧会は、ベルン美術館との共同企画。同美術館は、ヒトラーが強奪した美術品を退蔵していた人の息子が、それらを同館に遺贈したことで最近話題になったが、映画「リスボンに誘われて」の出発地点でもある。
地名、と言うものは、個人的な関わりだけでなく、情報を含めて記憶が堆積するとどんどん身近に成って行く。
展示は東京展は一月十二日まで、兵庫県立美術館は一月二十四日から四月五日までの会期。展示作品は105作品と充実している。
ホドラーは1853年に生まれ、1918年没。世紀末の芸術家、クリムトやエゴン・シェーレと同年に没した。
ホドラーの最もユニークなところは、人体の「リズム」を描き出す事に拘った事と言われる。
これは作品「感情Ⅲ」。類似する身体の形態を反復させる「パラレリズム」と彼自身の言う手法によるものである。
この絵に「リズム」を与えているものは何であろうか。
勿論、着衣も髪型も違うからそこに「変化」は当然あるのだが、変化はリズムと同じではない。
私の見るところ、そのリズムは体の重心の変化にある。差し出す足の左右、顔や肩の向き、手の表情などが、例えば前足は、左から右→左→右→右と順調と破調を織り交ぜながら変化していく。これが彼の「パラレル」と「リズム」の源泉ではないか。
因みに、太極拳では、両足に均等に体重をかけることを「双重の病」といって嫌うが、それは「次の動きに対する敏捷性」が失われるからであり、「動的安定」が損なわれるからである。
ホドラーにおける「リズム」も、動的安定にあるのだと思う。
ホドラーが画壇に認められるまでの道のりは決して平坦ではなかったらしい。
この「怒れるもの」にはその屈折した感情が表されているが、彼の軌跡は、パリのオルセーで展覧会が開催された時の案内に詳しく書かれている。http://www.musee-orsay.fr/en/events/exhibitions/in-the-musee-dorsay/exhibitions-in-the-musee-dorsay-more/page/0/article/ferdinand-hodler-7814.html?tx_ttnews%5BbackPid%5D=649&cHash=e9ce63257b

上は「woman in ecstasy」(1911年)と題された絵。
身体方向・重心は右足にあるのだが、次の動きへ、顔が左に、身体も左に開いている。勿論この絵は左から右への動きの途中、とも捕え得る。何れにせよ。意識は左にしっかり向かう乃至残っており、「恍惚」からイメージされる「脱力」を感じる事が出来ない。
その意味ではむしろ

「昼Ⅲ」と題されたこの絵のほうが、脱力による身体の一部の歪みが現れて「恍惚」に相応しい、と感じた。
尚会場内にパネルで書かれた彼の年譜があったが、二番目の妻ベルトとは1894年結婚、98年に離婚、とあり、一方1913年にベルトと共に移動したような記述があった。
(なにしろ手書きのメモなので、これは私の誤解であるかもしれない)
確認しようと思っても、臨時雇いの女性の案内・警備(?)係りしか居らず、その方法がなかった。
私のような質問ばかりではなく、観る者への様々な質問に答え得る学芸員を巡回させるような試みはないのであろうか。
観終わって、チューリッヒ美術館展出見た「真実」と題する絵を思い浮かべた。
インパクトのある絵、というものは時空を超えるものだ、と考えさせられた。

