イギリス バーミンガムから週末にパリにやってきた、団塊の世代と思しき夫婦。
夫は大学で哲学を教え、妻は中学か高校で生物を教えている。
新婚旅行で泊まったホテルに行くが、色あせた思い出を想起させる部屋が気に食わなかった妻は、タクシーでパリを駆け回り、超高級のプラザアテネの、しかもロイヤルスイートにチェックインする。
途中、二人は互いの欠点や、事実と妄想が混在する相手の不貞をなじりあったりして、既に関係はひどく動揺している。
エンプティ・ネストで、しかも退職を控えた二人は、自分の人生を再構築しなければならない、いわば実存的危機を迎えている。
と同時に、結婚生活を続けようと思えば、二人の関係を再構築する必要もある。
夫は妻に後に告白するが、大学から勧奨退職を求められている。
サルトルやヴィトゲンシュタインの哲学について語れても、今や自分の哲学を語れなくなったほどに干からびてしまい、妻に縋るように依存する。
生物を教える事にうんざりしている妻は、興味のあるイタリア語やピアノを学んで、新しい人生を構築したいと願う。
生きものへのリアルな認識からか、辛らつだが、とてもユーモアのある女性で、感性もゆたかでビビッドだ。
実際はその余裕も無いのに、豪華なホテル、レストランで散財し、無銭飲食をしたりもするが、その過程で、夫は徐々に自分にリアルに向き合えるようになり、一個の人間として、妻を愛し直す。その象徴的な場面で、空き缶のタブを結婚指輪とて妻の指にはめる。
今は流行作家になった、学生時代の、夫を崇拝する後輩に招待されたパーティで、妻の別離の可能性に、切羽詰った夫は、全てをさらけ出して、答礼のスピーチをする。
彼なりの実存的危機をどうにか乗り切ったようだ。
実はこの映画は、パリのパサージュが出てくる、と言うので観た。
エルミタージュは遠くなったが、「複製技術の時代における芸術作品」で著名な、ヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」を最近読む機会があり、鹿島茂の「パリのパサージュ」なども読んで、旅行意欲を掻き立てられている。
パリで見たいパサージュは5~6個はある。
出来れば、沢山のパサージュができた、1820年代から40年代を生き生きと生きた、バルザックなども暇を見つけて読むつもりだ。
パリは4度ほど行ったが、内三回は用務であったので、ルーブルやオルセーも、もう一度行きたい、と思っている。
そのパサージュ、映画ではデュ・グラン・セールが出てくるが、勿論訪問予定先の一つに入れた。
尚この映画の評は、国際政治学者の藤原帰一氏が書いている。
ご参考までにURLを添付する。
http://mainichi.jp/opinion/news/20140922org00m200010000c.html