この本は「慶応義塾大学の四年生の時に書いたレポートとそれを発展させるつもりで東京大学で書いた修士学位論文がもとになっている」とあとがきにある。
また著者は同大学の小熊英二教授の研究室に在籍していたようである。
これらの事はこの本を読む上での感心をやや高める。
著者は渋谷や横浜などで高校生や女子大生として「性の商品化」の問題を日常的に意識させられてきた事をキッカケとして、横浜でキャバクラの体験入店を繰り返すうち、AV女優のスカウトと知り合い、その伝手でAV女優並びに業界の関係者を「参与観察」した。
冒頭の、渋谷で女子高生が下着や尿・唾液などを売る、ことが街のありふれた光景として在る、という事実に驚愕した。
BUNKAMURAやシネマライズ、イメージフォーラムなどに行く機会はあるが、いつごろまでそれらがあったのかは知らないが、目にしたことはない。尤も注意して居ない所為もあるかも知れないが。
「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか/青土社
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「性の商品化」は「対価」として報酬を授受する事が成立の要件だと思うが、「売春の社会史」バーン&ボニー・ブーロー著によれば、霊長類のメス(や若いオス)が餌をもらった礼に、あるいは相手の攻撃をかわすために、性的サービスを提供する、という事実がある。
報酬は必ずしも「金銭」とは限らないから、「性の商品化」の起源は相当古くかつ根深いものである。
同「社会史」では、売春の成立を「父権制」や「所有権の確立」「一夫一婦制」などに絡めて議論しているが、それらの議論は又にしよう。
著者によれば、冒頭の女子高生の場合、それらを売った後もなんなく日常に還る事が可能であり、深刻なトラウマになる事もない。
一方AV女優は、映像や雑誌などのインタビュー記事等として記録に残り、その事実は容易に消せるものではない。
そこでAV女優は自らの仕事、「性を商品化する」ことについてどのように「受容」をしているのか、というテーマが浮上する。
副題にあるようにAV女優は自らを語る事に饒舌であるが、その理由として、まずその機会が多いこと、そしてそれらの面接や雑誌のインタビューの過程でより積極的に仕事を捉え、パフォーマーとしての自覚が形成され、かつメーカーやプロダクションなどAVに関わる周囲もそれを強化するように働く。
過去「住宅団地」「ジェンダー」「援助交際」「出会い喫茶」などが新しい社会学のフロンティアとして研究対象となってきたが、この本もそれらの流れを汲むものであろう。
一方社会学のこれからのフロンティアを考えた場合、少子化や超高齢化が当然テーマになるだろう。
日本社会学会の機関誌「社会学評論」の目次をみていくと、それらを研究対象とした論文はそう多くはない。
最近目につく事象として、大型商業施設で「暇つぶし」する男性老人があるが、それらや「巣鴨商店街」の利用客の分析、高齢化した「住宅団地」の問題。老人の性。あるいは少子化による家族関係の変化や地域社会に与える影響。未婚男女が多くなる事の家族関係や社会に対するインパクトなど沢山のフロンティはまだまだ存在する。
話は変わるが同書は図書館から借りて読んだ。
十数年前から図書館を利用するようになったが、図書館に本をリクエストすると、急に「用意できました」とメールがあり、しかも借用期限が二週間が原則なので、それまで自前で買った本を後回しにせざるを得なくなる。そこが利用の悩みだ。
例えば、いま読みかけの本として
「気」論語からニューサイエンスまで (丸山敏秋著)
リベラリズムとは何か (盛山和夫著)
呼吸による癒し (ラリー・ローゼンバーグ著)
Slow Love a Polynesian Pillow Book (James N.Powell)
などが枕元に山積みになっっている。
まあ、長いこと楽しみながら一冊の本を読める、という利点もなくはないが、これは強弁だろう。