「PUBLIC/IMAGE.METHOD」 REVIEW vol.3-1
渋谷で働くブラックバズのアメブロ





YUGO NAKAMURA×YOSHIYUKI TOMINO



いやーまずはこのセッションで感じたこと。
大学時代興味をもって受けていた講義や本との関連性が深く、
大学時代に戻っているかのようでした。



このセッションは3つの記事に分けてアップロードします。
まずこの記事では、このセッションの着地をまとめます。



僕の中でのこのセッションの着地は、
“残す必要がある記憶”“残す必要がない記憶”という恣意的な力。
この文章に尽きるのではないかと。



富野さんがおっしゃいってたことは、
国家における文化創造レベルを担ってきた日本アニメが
“残す必要がある記憶”にまでいたっており、
その結果は、当時の人々が自身の作為がこもった作品を世に出してやろうという「決意」
血と汗がにじむような「努力」の結晶。



50年前、年間にディズニーと東映から数本しかアニメーション映画が世に出されていなかった中、
毎週30分のアニメーションを放送し続けた人の言葉。
また、そのアニメーションは原爆を唯一味わったことのある日本において、
「アトム=核」というキャラクターは教育の現場にまで受け入れられた。



そうした映像作品の出し先も限られている時代。
現代のように表現の場が皆に準備されていたわけではない。
そんな不利な状況下で戦い続けたからこそ、
現代のWEB業界の人たちに富野さんは「作為」と「努力」という
言葉を届けたかったのではないかな。



逆にニコニコ動画やYouTubeにアップロードされているコンテンツは“残す必要がない記憶”。
(とはいえ、そうしたコンテンツが全世界中の人々に消費されているのは事実は存在している。)



富野さんの言葉1つ1つが、日本のコンテンツ産業に対しての警笛のように感じました。



当たり前の話、
自身が映像や写真などの創造者として仕事をするのであれば、
自身の作為を強く持ち、努力を続けることが重要。
※Adobeのイベントであったにも関わらず、
 そうした創造補助ツールが増えたことにより日本のコンテンツレベルが下がっている
 と吼えてたことには笑ったw



終始、世界屈指のインタラクションデザイナーである中村さんもたじたじでしたが、
非常に楽しそうだったのも事実。




人それぞれ感じるところはあったかと思います。
ただ、「単純に富野さん面白いおっちゃんだね。」
という一言に集約したくはない、言葉と言葉の間のコンテクストを読み解く
楽しさを感じた濃密なセッションでした。




もしよければ、この辺の本はコンテンツビジネスやデジタルコンテンツの文化貢献などを学ぶ上では、呼んでみても良いかもしれません。
・コンテンツビジネスの概況→浜野保樹
・コンテンツビジネスにおける権利と創造→ローレンス・レッシグ
・コンテンツの文化経済→武邑光裕
いやー本当に上記書物を進めていただき、僕にコンテンツビジネスの魅力を教えてくださった細井教授に感謝。