昔、中学時代からの親友に電話口で
「ゴンタ、友達いないんじゃないの?」って言われました。
その言葉にメチャクチャうろたえた事を記憶しています。
「友達?いるよ。仕事仲間のスタイリストや、仕事仲間の・・・」
あれ?友達って何なんだろう?
その親友とは朝までワイワイ騒いで飲んだり、カラオケではしゃいだり、
高校時代に旅行に行った島では「どんな子が好き」だとか深夜まで話し、
大学時代は彼女が欲しがっているという限定バッグを僕が買いに行ったり、
彼女と喧嘩した時の愚痴を聞いたり、彼女を紹介してもらったり、
婚約した相手が遺産目当てだったことが発覚して、相談に乗ったり、
新しい彼女へのプレゼントのサプライズを考えたり・・・。
「ゴンタ、友達いないんじゃないの?」って言われたのは
親友が結婚する前でドタバタしている時だったと思います。
まぁ、いつもの事ながら他愛もない話題で電話していたのですが、
親友も忙しくてちょっと僕の電話を面倒に感じたんだと思います。
そんな時に親友の口から出た言葉が
「ゴンタ、友達いないんじゃないの?」
冷静に考えてみると、親友にとって僕は『自分が結婚をするためのツール』でした。
友情って、所詮『利害関係』なんでしょうね。
自分にとって有利に進める関係を持った相手が友人。
友達に関わらず、人間関係には全て『利害関係』が存在するんでしょうね。
夫婦であっても、自分が生きるための術でなければ『愛情』は成立しない。
親子関係においても、子供だって自分とは違う個体なのだから
そこには生きる為の『利害関係』が存在していると思います。
『家族』であれば、その中で『無償の愛』は存在すると思いますが・・・。
でも、『愛情』の域まで達しない『友情』は利害関係がなければ発生しません。
スポーツにおける『仲間』は勝利という同じ目標を持っているからこそ成立します。
学生時代の友人も、同じ時間を一緒に生きた『仲間』。
『仲間』とは「同じ目的を共有している人」です。
相性が悪くても一緒に同じ目的を目指せば『仲間』です。
『友達』とは「共有する時間が楽しい人」であり、相性もいい人です。
『仲間』の関係から『友達』に発展するのですが、そこにあるのは
『自分にとって、共有する時間が楽しい人』なのだと思います。
これも、所詮『利害関係』です。
それが『友情』なのだと思います。
友情という感情を持った相手が『友達』で、
さらに深くお互いを許し合った相手が『親友』だと思います。
私は今、陶芸を過去の人脈をつなげるコミュニケーションツールにしています。
当時はあまり話さなかった『仲間』が集まって、当時の時間を共有する事で『友達』になります。
そこに出る話題の中に私の事は存在しなくても、みんなの笑顔を作る切っ掛けになった事を嬉しく思います。
でも、『親友』という存在は、単なる友達ではなく、
『無償の愛』に近いやり取りがあった相手なのだと思うのです。
しんゆう=『親友』『心友』『信友』『真友』
僕の言う『親友』は本当に心を許し合い、信じている相手だったのですが、
その『親友』から『不特定多数の友達』と一緒にされた時、興ざめしてしまったのかもしれません。
中学時代の『親友』からの言葉、今回の『親友』からの言葉。
両方ともお互いの価値観の違い、お互いの単なる思い込みだったのでしょうね。
「ゴンタ、友達いないんじゃないの?」
これに対する答えは
「友達はいっぱいいるよ。でも、親友はお前だけだと思ってた。でも、それも単なる思い込みだった」
になるのかな?
『愛情』にまで至らない『情』には全て『自分を中心に考えた利害関係』があるのだと思います。
中島みゆきさんの『友情』という曲が心にしみます。
ただ、私もそれなりに年齢を重ねてきたので「傷つけ返そうとしている自分」にはならずに済んでいます。
