相手の言動にイラッとしたときは、
自分がイラッとするには
当然なやむを得ない歴史と事情があるのだろうと思う。
あなたがイラッとするのはやむを得ない。
当然だ。
と寄り添う。
その上で問う。
「何が嫌だったの?」
「何でイラッとしたんだろう?」
すると、私が答える。
「私が大切だと思って、私が一生懸命守っているものを、あの人はいとも簡単に、まるで、そんなことになんの意味もないよ!
と言うかのように、あっさり覆したの。」
それは、渾身の訴えだ。
「そうか、それが嫌だったのね。」
そう寄りそった瞬間、私が気づく。
それは囚われだったと。
私も、あの人のように、そんなことに何の意味もないかのように囚われずともよいのだと。
その瞬間
私は自由になる。
私をイラつかせたあの人は
私に新たな世界を気づかせてくれた。
ありがとう。
誰かの常識は私の非常識。
私の常識は誰かの非常識。
関わり合って、世界が広がる。