アルバイトにも関わらず
入社早々取材に出た
取材のいろはなど
何も分かっていない
そもそもレクチャーなど
受けてもいない
いきなりの取材だ
近くにある店に行き
女店員さんから取材して来いという
どうやらお店の看板娘という
企画らしかった
ノートとペンを渡され
目的の店に行く
それらしい質問をし
いかにも編集者でござい
といった素振りで、取材を終える
帰社後
今度は記事を書けという
新聞は読んでも
記事など生まれて初めて書く
「てにはを」もろくに使えず
編集長がリライト
それでも初めて書いた記事は
紙面を飾ることに
嬉しい気持ちはあったが
こんな簡単に素人の記事
載せちゃってもいいのかな
そんな心配も早々に忘れ
私の記者生活は始まった
そうそう
私が初めて取材にいった
企画
あれ一回で終わりました
別に連載でも何でもなく
新聞に広告を掲載してくれた
お礼を兼ねた記事だった
それ以降同じ企画は
二度となかった
我が家には
いつの間にか居着いた
野良猫がいる
この猫で
3匹目だ
決して家の飼い猫ではない
と言っても
毎日エサを与えているのだから
傍から見れば
うちの猫だ
外出先から帰ってくると
どこからともなく現れ
餌をねだる
車で帰ってきても
駐車場まで迎えに来る
もちろん餌のおねだりのためだ
居着いた当初
他の2匹の猫にやっていた餌を
狙いに来ていた
見た目はぶさいくな猫だったので
追い払っていた
それでも懲りずに
毎日やってくる
根比べだ
負けたのは当方だった
それからは
一つの容器に3匹は
仲良く首を突っ込んで
餌を食べるようになった
年月も経過し
先の2匹は
天寿を全うして
旅立っていった
野良猫の2匹ではあった
やはり毎日餌をやり続けていると
情も移り哀れに思い
ペット霊園に埋葬してやることにした
1匹になってしまった野良猫
今では我が家の庭で
我が物顔で暮らしている
野良猫も今では
先に旅たった2匹と同じように
歳を重ねた
毛並みも悪く
不細工な猫だが
今では情も移り
これからも天寿を全うするまで
面倒を見ていくだろう
とはいえ
この猫が私の心を
癒やしていてくれるのも
間違いのない事実だ
朝ポストに郵便物が
昨年お遍路に出たとき、宿泊した
鯖大師本坊から
一気にお遍路の記憶が蘇った
朝、日和佐駅を出発して
鯖大師に到着したのは3時ころ
ここは霊場と言っても
四国88札所とは違い
番外札所
必ず、お遍路さんが参拝くる札所でもない
だが、決して見劣りするような札所ではなかった
国道を右に入り線路を超えると
鯖大師は姿を見せる
夏に歩いたとき本当なら
ここの札所が最終目的地であった
しかし、台風が四国を襲い
計画が崩れ
今日出発した日和佐の
薬王寺迄で断念した
二ヶ月ぶりのお遍路再開の
最初の宿がこの鯖大師宿坊だ
宿泊者は4人
関西方面の女性一人
大阪のおっちゃん
水戸から来た中年の男性
最初風呂場で彼ら二人が仲良く談笑しているので
親子と勘違いしていた
あとで分かったことだが
彼らは徳島の一番から
同じような日程で
泊まる宿も同じということであった
この二人には
これから色々助けてもらうことになる
さて鯖大師では
夕食の前にお勤めがある
もちろん般若心経を読誦したり
真言を唱えたり
ところがここで護摩を焚くという
どうせ人数もこれだけだ
大したものでもあるまいと高を括っていた
住職が護摩壇に座り
いざ始まってみるとびっくりした
私の表現力ではあの光景は再現できない
たちまち大きな炎が立ち上がり
天井に届くのではないかと
そして読経をしながら札を
どんどん炎の中に放り込む
その迫力に圧倒された
お札は、全国各地から郵送で送られてくるそうだ
だから炎の中に放り込まれたお札は
イベント用に、作られたものではなく
リアルに、供養のために送られて来たもの
そんな一大イベントも終わり
夕食になった
あんな荘厳な護摩供養のあとではあったが
大阪のおっちゃんは
晩酌に酒が欲しいと言い出すしまつ
住職が怒りだすのでは心配したが
だが、ばかに砕けた住職であった
日本酒をお燗してくれと言い出すおっちゃん
流石にそれは却下され
一升瓶を
残り少ないとはいえ
結局おっちゃんは空にした
そんな一夜も更けていった
今朝郵便物が届き
懐かしくなって、その日を思い出した次第である
学生時代のアルバイトの話
私も色々と、アルバイトをした経験が有る
変わったものから普通のものまで
普通のものが、どんなものかというと
返答には困る
私がした普通のものとは
ビアガーデンでウエイターとか
測量の助手
あと工場の作業員など
ちょっと変わったものは
寿司屋で出前持ち
出前なんて死語になってますね
今はデリバリーと言うのでしょうか
そしてこれから話す編集者
今では当たり前にあるタウン誌
その編集のアルバイトをしていた
新聞のチラシに入っていた広告につられ
私は面接に行った
当時、私の中では人気の職種
さぞや応募者で溢れている事と
ダメ元で受けに行った
ところが受験に来ていたのは
私一人だけ
即決で決まった
面接も世間話をしただけ
あっけないほど簡単な面接だった
その新聞社
なんて書くと事務所の中には
編集者が何人もいて
活気あるシーンを想像されてしまいそうだ
我社はといえば
初老、いやもっと年寄りと言ったほうがいい
怖そうな編集長
それに私の母親くらいの歳の
ママさん記者(そのように呼ばれていた)
そして新米の私
あとは、間借りしている新聞専売所の事務員さんが
たまにお手伝いしてくれたり
また専売所の運転手さんが、
取材に行く際運転してくれたり
要するに、たった三人で紙面作っていた
ごくごく小さな、新聞社であった
もともと何店鋪か経営する専売所のオーナー
彼が趣味(?)で始めたような新聞であった
だが編集長だけは、一流の通信社出身だった
販売所の親会社の新聞社の関係で
編集長は招集されたらしい
そんなわけでこれから
ここでのアルバイトのエピソードなども
これからは少しづつ記憶を辿ってみたい
今日はヨガ教室の日
ゴールデンウィーク中は,休講だったので
一週間ぶりヨガだ
そもそもなぜヨガを始めたのか
私は昔から腰痛には悩まされてきた
調べたわけではないが
何か腰痛には効果がありそうである
そんな訳で今日も来ている
教室が始まってから今日で5回目
三月コースなので前半は過ぎた頃だ
私はもともと,体は柔らかい方だと自負していた
だが今は柔軟体操などしたことがない
なので現在の運動能力のことなど
考えたこともない
昔と、同様とまで言わなくても
ある程度のことはこなせると
簡単に考えていた
いざ始まってみると
前屈さえ満足に出来ない
自分の頭の中では、手のひらが床についている
しかし手の先がヒザ下あたりまでで
それ以上下がらない
柔軟性は言うに及ばず
バランス感覚も酷い有様
自分と同じレベルの人を探すが
見当たらない
あまりキョロキョロしていると
周りは女性ばかりなので
何か下心でもあるのではと
勘違いされる公算が大である
私のことなど、気にかけている人などいない
周りの女性たちは、ひたすらヨガに取り組んでいる
私なんかの参加理由とは違い
ヨガに対する向き合い方が違うのだろう
圧倒される思いで
体を曲げたり伸ばしたり
でも一向に体の柔軟性は
復活してこない
果たして、このヨガ教室が終わる頃には
私もいっぱしにヨガを語れるような
そんな受講生になっているのだろうか
大いに疑問ではある