前回からのつづきです。







根本原因が、分離感だという処までいきましたね、、、








、、が、しかし分離感、自体が悪いわけではありません。









分離感を真実として、「私」のストーリーを生きているのか、









分離感は、ただ起こっているだけで、誰かに起こっているわけではなく、









ただ分離している感覚が起こっているだけであるという、








超越知(方便です)も、同時に起こっているかの違いです。









超越知自体も「主体」がいないところで、ただ起こっているだけです。









「私」のストーリー上にいるかぎり、イリュージョンの中に居続けます。








超越知も同時に起こってくると、イリュージョンから抜け出しています。








じゃどうすれば、超越知が起こるのか、、、となりますよね。









起こる誰かも、起こすことができる誰かがいるわけではないので、、










超越知も、ストーリーも、イリュージョンも、ただ起こっているだけです。









主体者のいないところで起こっているだけです。










分離感、苦悩自体もただ起こっているだけです。

幸福感、不幸感もただ起こっているだけです。








それも問題とする誰か、主体者はいません。









前回の問いに戻りますが、苦悩の根本原因か何か?









一次的な答えは、分離感、自我、とかになると思いますが、

本質的な答えとしましては、苦悩自体も、いろいろな思考、感情などと同じように、

ただ起こっているだけで、苦悩の感覚が起こっているだけです。









苦悩する誰か、苦悩する主体者はいませんし、今までもいたことはありません。








 

苦悩を問題とする主体者はいません。


苦悩も、幸福感も同列です。違いはありません。










ただ起こっているだけです!









2回にわたって、語ってきたこの話題のまとめ、結論へ進めます。









苦悩の根本原因は何か?









ズバリ、分離感、、全体から分離さした「私」がいて、「私」の人生をコントロールしている「主体者」がいるという、思い込み、勘違いである。








故に、人生をコントロールしようとして頑張っていますが、コントロールできないので、苦悩が生まれてきます。








これは、ストーリー上での解答です。









本質な解答、ここでお伝えしている話としては、









苦悩の感じが起こっているだけ、苦悩している主体者は、いない。



今までも、いたことがありません。

  









もともと、Iミリもコントロールできる主体者はいないのに、コントロールしようとして、悪戦苦闘していることが、原因かなとは思いますが、、









それ自体もイリュージョンである。







苦悩もイリュージョンである。








つまり、、「勘違い」が答えになるのかな、、












それ以前に、、


苦悩する誰かはいないんです。

苦しい感じが、ただ起こっているだけです。