私がいない、とは、







そこらじゅうで聞く、「私は、いない!」

ということにつきまして、、









「私はいない」とは、

行為者としての「私」がいない、

現状をどうこうできる「私」がいない、

生きている「主体者」としての「私」はいない、

という意味である。









肉体がない、

思考、感情、身体感覚がない、

氏名がない、という意味ではない。










上記は、ただ起こっているが、

誰かに起こっているわけではない。

誰かの気質、性格によって起こっているわけでもない。










ということは、

思考、感情、身体感覚を、起こしている誰かはいないし、誰かに起こっているわけではない。











YouTubeや、本を読んだり、セッションを受けたりして、

「わかった!」「楽になった!」「大平安で、

もう私は大丈夫だ!」とか、よく聞くことがよくありますが、、、










それは、存在しない「個人」「私」の話である。

個人のストーリー上の話である。












わかる誰かがいない、

楽になる誰かがいない、

現状をどうこうできる誰かはいない、

という話である。










私という「概念」自体がない、

だだ、キャラクターの個性の表現があるだけである。










「主体」がない、

ということだろう。

認識する主体がない、

行為ももよおす主体がない、

認識、行為する人間存在中心の自我がない、










認識もただ起こっているだけ、

行為もただ起こっているだけである。










難しい話になりましたが、



物心ついてから今まで、「私」と思っていた私はいたことがなかった。

どうこうできる、行為者は誰もいないと、いうことなのだろう。

 








「私」となる、当事者がいない。 ということであろう。