再び、非二元とは、








再び、非二元について語ります。ことばでは表せないことを、表していますので、矛盾点もあるかとは思います、、









非二元とは、「主体」と「客体」は二つではない、という意味であると思います。










私と、外の世界が別れているのは、二元、








私と思考、感情は、二元、








思考、感情をコントロールしようとしている私は、二元








全体と、そこから分離した私は、二元、

 


現状を変えようとしている私は、二元、




悟ろうと頑張っている私は、二元




まだまだ、このあたりは分かりやすいのですが、









間違いやすいのは、









全体性、完全性の中に、思考、感情、味、音、出来事、などが現れているだけ、









そうなので、全体性、完全性しかない。









これも、一見わかりにくいのですが、、、  




全体性、完全性が「主体」になってしまってしまいます。









「ソレ」とか、「生命」、「エネルギー」とかに置き換えても同じです。









起きてくることに気づく、「主体」はいません。

認知する誰かはいません。









頭では理解できないこと、言葉では表せないことですが、、あえて無理矢理表現するとしたら、、










起きてくることのなかに、「主体」と「客体」が同時に在る??  


みたいな感じなのかなと感じてはいますが、、、



実のところはわからないし、不明です。









結局、わからないし、わかる誰かは居ないということです。










分かろうとしているのも、二元、



これを書いてる、読んでいるのも、二元、



非二元を説明、納得しているのも、二元、









つまるところ、二元も、非二元もなく、ただ起こっていることしかない。









誰かに起こっているのではなく、ただ起こっているだけ、、、ということなのだろう。