音符ピンポンパンポーン音符

介護の、やり場のない気持ちを書いて

気持ちの分散をしてるだけなので

完全スルーでお願いします




帯状疱疹の件では連絡してくるな!

そう父に言ったけど


色んなところから連絡が入ってくる


ケアマネだったり

デイサービスからだったり


どれも父が胸の辺りが痛くてたまらん痛さで眠れない、ふらつくとか…


私からすれば全て予想通りだ


何か事あるごとに「痛みどう?」と父に言ってみる

必ず「何ともない!」と返事する父


深くまでは聞かないと心に決めている


秋頃にはデイサービスに行った父が動けなくなったと連絡があり病院に走った


駆けつけた病院は父が帯状疱疹の診察を当日キャンセルした病院


すでに父は診察室に入って話してた

開いてるドアから入り先生と目があった「シィーッ」とジェスチャーをし、こっそりと先生にだけ挨拶をして父の話しに耳を傾けた


「痛いねん…」

「ワシ、娘にここに連れてこられたんやけど、ここの皮膚科は全然痛みが治まらんから止めたんや!今また元の病気に行ってるけど寝れんぐらい痛いんや!」


先生がお薬手帳を見ながら、どこの病院か聞く

知ってて聞いてるのだ


そりゃそうだ

元の病院って

町の内科だもの

クソ医者だもの


父がクソ医者の病院名を答える


先生が話す

「それは娘さんの言うこと聞いてた方が良かったかなー、○○医院が悪いんじゃないよ!でも帯状疱疹が悪化すると一生痛みがとれないこともあるよ!うちじゃなくてもいい専門の皮膚科に早く診てもらいや!」


心の中でガッツポーズ



が、私は父を甘くみていた


その帰り道でも父は頑として「何ともない!痛くない!」と私には言い続けた



そう言われて私が平気かと言うと、そうではない

その間にも色んなショックな事があった


妹の事

父の無責任な他人崇拝にクソ医者崇拝

父の家の家電が大量に新品に変わってた恐怖


そんなショックの中、念押しのように他人の無責任発言を優先するような内容の連絡が父からあった日


私の右腕が突如脱力し、両手両足の痺れが始まった


これは少し父と距離をおかないと自分が壊れると真面目に考えて秋を過ごした


時折、連絡が入ったり偶然に会ったりしたが先に「痛くない?」と言った


私から聞けば父は「痛くない」と言うだろうし 

「痛い!」と言えば病院を変える最大のチャンス


こうして秋をやり過ごした



そして12月


実家に寄った際にチラッと薬手帳を見た


父が席を立った瞬間にスマホカメラで撮る


皮膚科の記録はなく、全て金儲け主義のクソ医者の処方だった


相変わらず血圧血糖の薬とリリカ等々の薬が処方されていた


パラパラとめくり写真を撮る


挟んであった!皮膚科の診察券!

パシャリ



自宅に戻り調べる


まずは診察券の皮膚科

無責任暇潰し常連ご推薦の病院


アレルギーと美容に特化した皮膚科…て…



そして薬手帳の薬を1つずつ調べる


上に書いた以外に睡眠導入剤の処方があった


「これやん…」


ふらつきの1番の原因は間違いなく睡眠導入剤

昔も同じ様なことがあったのを父は理解してなかったのか?


そしてリリカ

これは私が連れて行った皮膚科の先生が凄く気にしていた薬

「ふらつきが出る可能性がが高いので量の調整が大切」そう言って少量から始めたのを覚えている


クソ医者!

適当に出してやがる



高齢者のお薬手帳は絶対にチェックするべき!