(5)からの続きで

土星的な出来事と同じ次元で天王星を語るこ

とはできない……というお話を前回ここでい

たしました。


土星は基本、個人サイズに収まる困難やそれ

を乗り越えるための努力や忍耐を暗示するけ

れど


天王星が暗示するのは、個人のサイズには収

まらず、あえて個人を持ち出すなら

「歴史の中の個人」

自分の時代だけに収まっている自分ではなく、


自覚はなくても歴史の流れの中に生かされて

いる自分のことなのです。


つまり

(人間はみな時代の子だ)

というときの個人ですね。

(おれは自由な個人だから100%自由にふるま

える)

と思っているような自分ではありません。


とはいえ、天王星が集団や世代や時代をあら

わすだけでなく

(時代の子としての個人)

にも関わるという意味で


わたしは

「戦えるのは天王星まで」

と表題に書きました。


かろうじて半分くらいまでは自分の責任とい

う自覚で社会的・歴史的な事柄にも関われる

という意味での

「戦える」

です。


従ってその先は、つまり海王星、冥王星とな

ると、もはや個人の戦いというのは問題にな

りません。


もちろんその場合でも、現場で個人はそれぞ

れに戦うのですが、おのれの役割の意味も、

影響が及ぶ範囲も、ご本人は本当には知るこ

となく


ただ虫眼鏡でのぞいたように、その当時の環

境とか状況の一面だけしか知らずに戦うこと

になってしまいます。



海王星も冥王星も時代の潮流そのもので、ナ

ポレオンはかろうじて

「オレがやったんだ」

と言える側面をフランス革命に関して持って

いますが


あくまで

「かろうじて」

であり、どんなに多く見積もっても

(個人の功績としては半分)

です。


ただしあの……、それでもやっぱり考えれば

考えるほど、ナポレオンは偉大だと思います

けど。どんなに海王星、冥王星の時代パワー

に乗ったとは言え。


海王星、冥王星パワーの本質部分はナポレオ

ン個人にではなく、フランス革命の前提にな

った風潮に現われています。


つまり、フランス革命の大前提であるローマ

カトリックとプロテスタント、あるいはイギ

リス王室(国教会)とプロテスタント諸派と

の戦いがヨーロッパで積み重ねて来たもの、

また新天地のアメリカで展開され、それがヨ

ーロッパにまで跳ね返ってきたもの


人間支配とそれへの反発、そこからの自由を

巡って戦われたすべてに、冥王星と海王星は

反映されています。


(終)