「出版するのが夢だった」あなたへ・・・夢の実現を応援するブログ -19ページ目

「出版するのが夢だった」あなたへ・・・夢の実現を応援するブログ

あらためて問いかけてみましょう。
「本当は何が大事?」
「本当はどうありたい?」
あなたの夢の実現を応援し続けるブログ

「人には無限の可能性がある!」

これを生涯を通じて実践的に証明すべく、あなたの執筆と魂が悦ぶ®出版を応援する、夢実現応援家®の藤由達藏です。

前回の記事の続きです。

本を読んで、その理解に正解はあるのだろうかと考えて、本を読むのが苦手になった人も多いのではないかということを書きました。その続きです

 

■正解があるのは学校の中だけ?

学校の勉強には、大抵正解があります。逆に言えば、正解のあるものしか取り扱っていないのかもしれません。世の中を見渡せば不合理がまかり通り、正解のないことばかりです。

正解があるのは学校の中だけだ、と言ってもいいのではないかと思うくらいです。

そのような学校の制約に反発を覚えてか、あるいはもっと高度な観点から、

「本当の理解とは何だろうか。実は読書はすべて、自分勝手な理解の連続であり、それは誤読と言った方が正確ではないか。いやむしろ、正確な理解など不可能なのだ。すべての読書は誤読でしかない」

そんな考え方をする方もいます。

 



ちょっと格好良いですね。なんとなくロックです。パンク?

「誤読しかない」と言いきってしまうその潔さが気持ちいいくらいです。

本を読んでその理解が正しいか正しくないかというのは、そう簡単には言い切れないものです。

そして読書は個人的なものであり、極私的なものですから、いろいろな読み方があっていいと思います。


■ブーバー曰く、「すべて真の生とは出合いである」

数年前から、オーストリア生まれの宗教哲学者マルティン・ブーバーの『我と汝・対話』(植田重雄訳 岩波文庫)を読み続けています。

 



ブーバーは「出会いの哲学者」とも言われ、人間関係および、現実世界との関わり方について独自の視点を提示しています。

ブーバーの言葉として、どうもよく引用されるのが、

「すべて真の生とは出合いである」

という言葉のようです。

 



この言葉は、ピンとくる方も多いようで、

「たしかにその通り。人生は人との出会いで決まります。私も出会いによって人生が変わりました」

と書いたり、言ったりする方がいます。

引用される方がつかう「出会い」は、実は誰かと知り合うことの意味で使われています。日常的には、

「恩師との出会いがなければ、現在の自分はいない」
「あの詐欺師のような男と出会ってさえいなければ、今の私はこんなに惨めな暮らしをしていないはず」


というように使われます。出会うか出会わないかで人生が変わる、という考え方です。

それはもちろん、その通りなのですが、実はブーバーの言っている「出合い」はその「出会い」も含みながらも、誰と出会うか、知り合うか、ということに力点を置いていないのです。

もういちどブーバーの言葉を見てみましょう。

「すべて真の生とは出合いである」

真の生=出合い

と言っているのです。真の生というのは「真の人生」です。言うなれば、

「私たちが真の人生を生きるということは、出合うということなのだ」

というニュアンスの言葉なのです。

真の人生を生きると言うことは、大事な人と出会うことだ

と理解することもできますが、そう理解すると、大事な人と出会わない人生は価値がないという含意を感じてしまうと思います。

(つづく)


それでは、今日も、
あなたの執筆生活と魂が悦ぶ®出版を心より応援しています。

読者登録していただけたら嬉しいです!

ではまた!

 

 

◎読書については拙著もどうぞ!

 

 

 

 

 

◎「魂が悦ぶ®出版講座」第4期 お申し込みページ(早期割引②)

 

 

 

 

 

 

来る5月から、「魂が悦ぶ®出版講座」第4期が始まります! 

zoom説明会も開催しています!