意外と身近な換喩と提喩 | 「出版するのが夢だった」あなたへ・・・夢の実現を応援するブログ

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すこし間が空いてしまいましたが、比喩の続きを書いていきます。
今回は「換喩(かんゆ)」と「提喩(ていゆ)」です。

 



■3.換喩と提喩

「換喩(かんゆ)」も「提喩(ていゆ)」も、あまり聴き慣れない言葉ですが、それぞれ修辞(レトリック)技法の一つです。

「換喩」は、互いに近いもの同士を交換するようにして作る比喩です。小難しく言うと、「概念の隣接性または近接性に基づいて、語句の意味を拡張して用いる」比喩です。

たとえば、

・昨夜の鍋は、美味(うま)かった。

鍋を食べるはずはありません。鍋で鍋の中の料理を指しています。ごく普通の表現ですが、鍋と中身は隣接しています。隣接し合う中身(料理)と器(鍋)の関係を捉えて、器(鍋)で中身(料理)を表しているのです。これは換喩の一種です。



あるいは、

・若い頃は、太宰を読みふけったものだ。

「太宰」は太宰治のことですが、太宰治という著者自身を読むことはできないので、太宰治の小説作品を読みふけったに違いありません。太宰治という著者と小説は隣接しているととらえ、著者名で作品を代理させているので、これも換喩の一種です。

こここまでは「換喩」の話でしたが、次は「提喩」です。「提喩」と「換喩」は似ていて、両者をひっくるめて「換喩」とする考え方もあります。

「提喩」は、

・部分と全体
・物体とその材料
・上位概念と下位概念


などの一方をもう片方で表現します。

たとえば、小説家志望の息子に向かって父親がこんな風に言うとします。

「文学で飯が食えるほど、社会は甘くないんだぞ!」

比喩表現が一杯入っていますが、まず「文学」に着目してください。
「小説」をその上位概念である「文学」という言葉で表現しています。これはまさに提喩です。

「飯を食える」の「飯」は、すでに慣用表現ではありますが、「職業として生計を立てる」ことを示唆しています。生計を立てることの中には、働くことも休むことも食べることも入っています。生計を立てるという上位概念に対して、「飯を食う」という下位概念を当てているので、これも強いて言えば「提喩」と言えるでしょう。

「社会は甘くない」というのは、厳しさの概念を味覚で表現しているので共感覚法と呼ばれます。「提喩」とは違うのでここでは特に掘り下げません。

 



あるいは、大学の文学部進学を希望する息子を話題にしている父親が、

「息子は大学で小説を読むつもりらしい」

と言うこともあるでしょう。この場合は、「文学部で学ぶこと」(上位概念)を、その一部である「小説を読む」(下位概念)という行為で代理させて表現しています。下位概念でもって上位概念を表現しているので、提喩表現と言えるでしょう。

ここまで読むと、

「なんだ、日常的にごくありふれた表現ばかりじゃないか」

と思うでしょう。そうなのです、換喩も提喩も私たちがそんな特別な表現だとは知らずに使っているものなのです。換喩と提喩は、あだ名や悪口、差別表現につながる表現法で、いろいろ探っていくと面白い発見があります。

それ以外にも、比喩表現はたくさんありますので、さらに比喩について理解を深めたい方は、

『レトリック感覚』佐藤信夫著(講談社学術文庫)
『レトリック認識』佐藤信夫著(講談社学術文庫)
『日本語のレトリック』瀬戸賢一(岩波ジュニア新書)

あるいは、他の著者であっても「レトリック」とか「修辞学」、「メタファー」などについて書かれた本を読むといでしょう。

修辞学(レトリック)の話は今回までの説明でよしとして、次回につなげていきたいと思います。。

それでは、今日も、
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