平成28年10月23日 午後9時17分

父が永眠しました。


今年の3月に肺癌が分かり、治療したのは抗がん剤4回、放射線20回。

これだけの治療で倒れ入院が3か月。

癌の治療は何もせず、ただただ点滴だけの3か月でした。

9月に退院し、自宅看取りに準備に入りましたが。

訪問の医師がびっくりするほど元気になり、本当は今週からリハビリ予定でした。

ただ、放射線治療の影響が腸まで出てしまってずっとお腹が痛く、下痢状態が続いているものの

本来出さなきゃいけないものが出なく、訪問看護師さんが週3浣腸と敵便をされていました。

看護師さんには、本当によくして頂きましたが、こんなに痛がるのにそんなにやらなきゃいけないのか・・・

と思うい日々でした、亡くなる前日の敵便ではあまりの痛さに失神した程でした。

思いたくないけど、これが影響してないかな?とも思わなくもないですが。。。。

医師からも、癌よりも腸の影響が強かったと言われました。


土曜日に看護師さんから、容態急変の可能性があるので兄に連絡しといた方がいいと言われ

連絡すると、偶然東京で仕事中、日曜日の朝のに戻って来ました。

土曜日夜は、少しおかゆやプリンなど食べたし、日曜日の夕方位まで私を力強く声で呼んでたので

兄も安心して帰ったのですが・・・

20時ちょと前に、呼吸が浅くなっていたので、酸素を最大にし訪問看護師さんに連絡。。。

すぐに来てくれたけど、会わせたい人がいたら。。。と言われてしまって

兄もすぐ新幹線に飛び乗ったけど。間に合わず。。。。親戚も間に合わず。。。

結局私と母で看取りました。

喘息があったし、肺癌なので、多少息苦しさはあったでしょう。

でも、それほど苦しまず眠るように旅立ちました。

穏やかで今にも起きそうな顔しているのを見て

病院に行った方が良かったのか迷いましたが自宅で看取れて良かったと思っています。


介護が本当に大変で、腸の影響でおむつかえが一晩に何十回となる時もあったり、

夜中朝まで30分毎に呼ばれ疲れてクタクタになり、父に優しくできない事があったことが悔やまれます。

医師には「気丈によく頑張りました。僕はあなたが心配です」と言って頂きました。


今週は、姪が修学旅行だったり七五三のお参りがあったそうなのですが、

僧侶と葬儀場が空いてなく、通夜・告別式は来週となりました。

姪達の予定が終わってからすぐ決まるなんて、父から姪達へに最後のプレゼントになりました。

おじいちゃんが大好きだった姪達。まだ父と会っていませんが

話を聞いて号泣だったそうです。


私達兄妹は、父に本当に大切にしていただきました、

やりたい事、欲しかった物なんでも与えてくれました。

たぶん、私はファザコンです。父が大好きでした。

本当にありがとうございました。

父が一番愛し、心配していた母に事は私が守って行きます。

ゆっくり休んで下さい。