またまた、なかなか出なくて、出れば水下痢。

さらに風邪もひいて、熱はあるし、最悪です。

入院したくないですが。




  今日も、地元、信濃毎日新聞の紙面から。














亡くなられた方々には、


私の祖母曰く、


必ず後悔がある。そうですが、

この台風の浸水では、


亡くなられた方々の、


普通に暮らしておられた、最期のお姿は、

周りの方々にとって、辛すぎることでしょう。
















長野県のいちばん北の市、飯山市は豪雪地帯。

その雪より、はるかにひどい。


確かです。












第3セクターのしなの鉄道の、ほんのわずかな区間がダメで、 

高校に通えない。


こんな若い犠牲者もいます。














水につかった。、処方箋薬局の方が、

水の中から、患者さんのカルテを出しておられます。

 ご自分のことも大変でしょうに、頭が下がります。









千曲市のあんずボールも浸水しました。



あんずボールは、20数年前、母と、


財津和夫さんのソロツアー、


愛はちっとも難しくない


を、聞きに行った、思い出のボール。




なんとか、元の姿になりませんか?



















私が子供のときから、

父が車を運転して、

一体、何回行ったかわからない、


新潟県の長野県境にある、

妙高高原の池の平、いもり池。

画家だった父の、お気に入りの写生の場所。

母が勤務していた会社の保養所があり、


管理人さんも、温泉も、お料理も、素晴らしかった。






妙高高原に行くとき、必ず通った、

通称アップルライン。


真っ直ぐな道の両側が、見事なりんご畑の道。






 水没しました。


写真のように、泥が砂ボコりです。




父亡きあとは、私が運転して、やはり池の平の


今は閉鎖された、かんぽの宿妙高高原にも、


家族で何度も行きました。




やはり、必ず通ったアップルラインが、水没。






本来なら、こんな感じの道路です。










写真は、お借りしました。






被災された方々には、申し訳ございません。




私の個人的な思い出。


大切な大切な思い出も、水没しました。





 これは、やりきれない思いです。





決壊した、穂保には、仮の堤防ができ上がりました。


夜通し作業してくださった方々に、頭が下がります。





週末は、また雨です。



また、被害がないことを祈るのみです。




私も、ぬいぐるみちゃんたちも、我が家も、


水没したくないですよ。






被災された皆さま、


くれぐれも、お気をつけくださいませ。





皆さまも、十分に、お気をつけ下さい。