奈良の春日大社が創建1250年ということで4/23に参拝してきました。
ちょうど藤の花が見ごろで綺麗でした。
興味を抱いたのは佐柳八幡宮の鳥居にかかる「大明神」の表現でした。
野津合(のつご)にある八幡宮の鳥居は「八幡宮」だけの表示ですが、寛政時代には海辺だった山路商店の前の鳥居には「八幡宮」と「大明神」の2つの表示になっています。
場所的には大天神社の近くなのでこちらのものと思い込んでいましたが「八幡宮」とあるのでそうではなくお宮さんの鳥居でしょう。
この「大明神」の正体は「春日大明神」と思われるのです。
その答えは寛政8年(1796)の佐柳島の古地図にありました。
そこには氏神「八幡宮」・「春日明神」と書かれています。
春日社は全国に1000社もあると言われ、総本山が春日大社なのです。
町史を調べると多度津にもありますが、佐柳八幡宮の記載箇所には春日社の表現はありません。
いつの間にか春日大明神が忘れ去られたのでしょうか。
いつの間にか春日大明神が忘れ去られたのでしょうか。
藤原氏は天皇とも姻戚を結び、摂関家を務め、全国に子孫を広めています。
中臣姓から藤原姓に変わり、鎌足の子の不比等やひ孫の永手が奈良に勧請したことに始まり、その信仰は源氏・平家を問わず全国に及びました。
中臣姓から藤原姓に変わり、鎌足の子の不比等やひ孫の永手が奈良に勧請したことに始まり、その信仰は源氏・平家を問わず全国に及びました。
塩飽は近衛家の荘園でもあり藤原氏に縁があります。
手島の安養寺再建の棟札に大工藤原氏の名があります。
手島の安養寺再建の棟札に大工藤原氏の名があります。
佐柳八幡宮の祭神は応神天皇と天児屋根命です。
天児屋根命こそ春日大明神なのです。
天児屋根命こそ春日大明神なのです。
2神をお祀りしていることを改めて認識できた謎解きでした。
八幡宮の片隅に末広大明神がありますがこちらはお稲荷さんと思われます。
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<参考>
春日大社は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設。
<参考>
春日大社は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設。
全国に約1000社ある春日神社の総本社である。
武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。
主祭神は以下の4柱。総称して春日神と呼ばれ、藤原氏の氏神である。
武甕槌命(タケミカヅチノミコト) - 藤原氏守護神(常陸国鹿島の神)
経津主命(フツヌシノミコト) - 同上(下総国香取の神)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト) - 藤原氏の祖神(河内国平岡の神)
比売神(ヒメガミ) - 天児屋根命の妻(同上)
武甕槌命(タケミカヅチノミコト) - 藤原氏守護神(常陸国鹿島の神)
経津主命(フツヌシノミコト) - 同上(下総国香取の神)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト) - 藤原氏の祖神(河内国平岡の神)
比売神(ヒメガミ) - 天児屋根命の妻(同上)
奈良・平城京に遷都された710年(和銅3年)、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まる。
社伝では、768年(神護景雲2年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。(今年は創建1250年)
春日造の御本殿(国宝)に鎮座されており、最も尊崇すべき神々として春日皇大神と申しあげ、また、春日四所明神、春日大明神と申しあげてまいりました。
武甕槌命信仰: 雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されており、鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られている。
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