お久しぶりです。

 

 毎度、訪問してくださった方々には、大変ご無沙汰してしまいまして申し訳ありませんでした。

 

 さて、久々の更新に、しばし、お付き合いくださいませ。


旅の記録 kazの時々、つぶやき記

 

 

 時は、旧暦の1月18日の晩のことです。この山深い〝水窪町〟の奥地、西浦地区の東にそびえ立つ山々から月が登る頃に始まる神事。そして、この神事は、翌日の朝日が昇るまで、一夜を徹して執行されるものです。

 

 西暦719年より始まったとされ、以来、長きに渡って毎年、今日に至るまで継承され続けているこの農祭り。

 

 今や、国指定重要無形民俗文化財でもあります。五穀豊穣、無病息災、子孫永久、水火の難を除く神事〝西浦の田楽〟が始まります。


旅の記録 kazの時々、つぶやき記

 

 

 先ずは〝庭上がり〟と言いまして、神事を執行する〝能衆〟と呼ばれる人々が、高台に在る観音堂に登ってまいります。神事は、この観音堂の敷地内で行われます。

 

 以後、〝地能〟と呼ばれる舞いを33演目、〝はね能〟と呼ばれる舞いを12演目、そして、神様がお戻りになる〝しずめ〟を終えるまでに、50近くにも及ぶ演目を朝日が登るまで続けるのです。

 

 

 ・地能一番、庭ならし

 

 一番最初の演目です。楽堂と呼ばれる場所に太鼓が据えられて、能衆が集まり、詞章を全員で唱和します。


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 ・地能二番、御子舞

 

 

 

 早速、舞いが始まりました。手には鈴と扇を持ち、腰には刀を差して、太鼓と笛の調子に合わせて、跳んだり、廻ったりをくり返します。

 

 これは、観音菩薩への奉納舞いだそうです。


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 ・地能三番、地がため

 ・地能四番、もどき

 

 二間半 (約4.5m) の長槍を用いて、地中内の悪霊退散の舞いをします。邪気を反復して、堤を閉塞して正気を迎へ、幸を開く修法の舞いなのだそうです。

 

 田畑を耕す人々にとって、地べたは何時でも健康であって欲しいものですよね。そんな願いを感じさせる舞いでした。


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 ・地能五番、つるぎ

 

 

 ・地能六番、もどき

 

 剣を用いて、空中の悪霊を切り払う舞いです。五番のつるぎでは、真剣を持って舞い、六番のもどきでは木刀をを持って舞います。


旅の記録 kazの時々、つぶやき記

 

 

 ・地能七番、高足

 ・地能八番、もどき

 

 高足という道具を用いて、やはり、悪霊祓いをします。


旅の記録 kazの時々、つぶやき記

 

 

 後半のムードは、少しくだけてきます。下の写真のように、どちらが長く高足に乗っていられるかを競い合って遊びます。

 

 先に落ちた方は 「下手くそだなぁ、もう年かあ?」 などと言われる始末で、周囲の笑いを呼びます。


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 ・地能九番、猿舞

 

 ここでは、猿の面が登場します。雄猿と雌猿とで、二匹で舞いや問答を披露します。


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 ・地能十番、ほだ引

 ・地能十一番、御船渡し

 

 観音堂の本堂と、大きな「タイ」の間に掛かっている網で、御船が渡るというものです。


旅の記録 kazの時々、つぶやき記

 

 

 

 本堂から渡された御船によって、この大きな「タイ」に火が移されます。


旅の記録 kazの時々、つぶやき記

 

 

 

 「タイ」が勢い良く、燃え始めました。


旅の記録 kazの時々、つぶやき記

 


 いかがでしたでしょうか?とはいっても、まだまだ序の口なんですけどね。

 

西浦の田楽は、伝説によると、養老3年 (西暦719年) 行基菩薩がこの地に来て、聖観音の仏像と数個の仮面を作ったのが始まりなのだそうです。

 

 

 行基菩薩は、奈良時代の僧でありながら、全国を廻って用水路や橋を作ったりもしたそうです。また、晩年には、奈良にある東大寺建立の責任者も努めているんですね。

 

 

 この神事を見ていると、決して私達が過ごしたことのない、日本における中世の時代を大いに感じさせてくれます。なんだか、とっても不思議な時間を過ごしております。

 

 

 この続きは、後日にお伝えしてまいります。