GLAYさんの昔話(著作権を返してもらうまでの道) | 君にサチアレ

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なにわ男子からの元気貰って生きてます。
時々愚痴るかも((笑))

嘗て20万人ライブで日本中の注目を集めたGLAYさん達。

 

函館から出てきた田舎者だった彼らにどうすれば売れる歌が作れるか

 

どういう格好すれば女の子たちにキャアキャア言ってもらえるか

 

教えてもらって彼らを支えるべく事務所からレコード会社まで

 

立ち上げてもらったもののやりたいことが出来なくなってしまった。

 

そんな時にもうGLAYやめようって話になって解散の決まった後に

 

じゃあ、辞めたらどうするってわいわい話してたら

 

俺歌いたいから曲作ってよギター弾いてよベース頼むね。

 

じゃあ、解散しなくても好いんじゃねってなって

 

そんな時にライブの時に使ったお金が支払われていないからの

 

事務所が空中分解。

 

TAKUROさんが個人事務所立ち上げて活動始める。

 

その裏で著作権を争う裁判を起こしていた。

 

GLAYさんの曲はTAKUROさんが作曲しているのにもかかわら

 

契約上大手の芸能事務所の物だったため。

 

裁判の仕組みがいまいち理解してないけれどGLAYさんの

 

曲であることが認められて自由に歌えるようになるのも大変な時間がかかってる。

 

此の事から推察するにSMAPが事務所を辞めるとなったら

 

グループ名も曲を歌うのも契約上出来ない事だったんだよね。

 

エイジェーント契約っていまいち理解できていないけれど

 

もしかしてこう言う事が無い世界に行けるのかもしれない。

 

タレントたちにとってはしんどいかもしれないけれど

 

自分がやりたいことが出来る世界になっていけたら

 

それを今は願うのみ。

 

ただの普通のおばちゃんに出来る事。