ファザコンか?

そんな事は30数年、思ってもみなかったが、私は家族の話を人によくするらしい。

人に言われて初めて、まさか・・・私が?とファザーコンプレックス???

と自分自身が驚いたくらいだけれど、まぁ確かに父親は尊敬している。

それは否めない。

父親は永遠に父親なので、私が周りにいる男性と較べる事は無いが

父親以上の男性はいないのではないかと思っている。

私の人生において、とても大きな基盤となっている父親である。



私は大学に入るまで、父親が嫌いだった。

正確に言うと、とてもこわかった。

絶対的な強さを持っている父親で、「俺の金で飯を食ってる内は一切口ごたえするな」と

言われて私は育ってきた。

素直にも父親に反論したのは、社会人になってからである。

今になれば、その厳しさも口うるささも私達の事を思っての事だと痛い程感じ、

その反面、気の小ささも垣間見られる人間性が可愛くもある。


そんな父親が天国へ旅立ってしまった。

まだ還暦を迎えて数年しか経っていない父親の人生は短く太い人生であった。

4年半の闘病生活の中で、いつかはいつかは覚悟していた時機がついに来た。

医者からは、この状態でまだ生きている事が珍しいと言われたので、

そこにも父親の「生」への執着・強さに涙が止まらなかった。

亡くなる前日まで仕事の書類に目を通す程、根っからの仕事人であり、

亡くなる前夜にスイングをしてしまう程、根っからのゴルフ狂だった。


そして、納骨の日の夜、父親が子どもの頃から一緒だった叔父が

父親との会話・父親とのエピソード・父親の性格について色々と教えてくれた。

娘の私は知らない父親の姿が鮮やかに叔父には見えるのだろう。

酒に酔った叔父が

「俺はヤスマサ(父親)にはなれない、ヤスマサの生き方はできない

でも、俺はヤスマサになりたい」と涙ながらに言ってくれた。

それ程二人の友情は深く、真剣なものだったのだろう。


歯に衣着せぬ物言い、

時には人を傷つける乱暴な言葉、

相手を思い耳の痛い事も言う生き方、

事の真髄を分っていた知恵、

確かに嫌われる事もあったであろう。

反面、好かれる人にはとことん好かれる

その生き方に叔父はとことん向き合ってくれたのだろう。


そんな友情を父親は色んな人と築いていたんだと感銘し、

そしてそんな父親の下に生まれた事に感謝し、

娘として、これからの人生を父親の名に恥じぬ様、

精一杯生きていくこと、ただそれだけ。





「手書きの手紙は気持ちが伝わりやすい」


この21世紀・情報化社会の中で

一般論とでも言うべきか、社会通念とでも言うべきか

根拠は無いのに、ほとんどの人がそう思っているのではないだろうか。



そんな当たり前とされている様な根拠の無い通念を私は先日、実感した。



つい先日、1通の手紙が届いた。

半年以上遅れの誕生日プレゼントと共に。

メールでのやりとりが主流となっている昨今、とても新鮮な直筆の手紙。


送り主は前職の後輩だった(2006/3/11記)。

まずは、届いたプレゼントに度肝を抜かれた。

ユニバーサルスタジオへ行ったらしいが、そこで購入したETがプリントされたパンティだった。

30歳目前の私にこれを着用しろというのか。

・・・とても、おもしろい、受けて立とう。

確か、昨年は私の帽子好きを考慮して帽子作りをしている人に作ってもらったという

かっこいい帽子が届いたな。毎年、ありがとう。

あいつの誕生日はいつだったかな?



そして、年賀状や暑中見舞いすら直筆の文字を見る事が少なくなってきた

この通信手段、簡素化の時代に全文直筆の手紙の持つ力に私はハッとした。

とても新鮮だった。

久々に他人が書く文字が便箋2枚に渡り、びっしりと埋め尽くされていた。

とてもきれいだった。


手書きだったからという簡単な事で、私もハッとはしない。

そんな単純ではない。

問題は中身である。


私と彼女と一緒に働いていたのは、確か私が25~27歳の時。


彼女は、静岡の実家がお茶農園でそれをシーズンには手伝いながら会社勤めをしている。

彼女も今の職場で丸2年勤めている。

そして、彼女は今、26歳。

私が前職で彼女と横に並んで一緒に仕事をしていた頃の私と同じ歳になったらしい。

仕事上では、彼女のみならず私は特に女性後輩に仕事を教えるのは嫌いではなかった。

その代わり、何度も同じ事を聞かれるとキレテイタ。

必要な時は思いっきり怒っていた。

そんな頃の私と彼女は同じ歳になり、職場に後輩がいるらしい。


そして、私と同じ歳になって後輩を抱えている彼女は現在の自分と

あの頃の私とを重ねているらしい。

彼女は厳しく教えても、それに応えてくれる素直な後輩だった。

彼女も私とは色々とやり易かったのだろう。

「自分はあの頃の姉さん(前職での私の呼称)と同じ歳になりました。

姉さんが私にしてくれた様な事を私は果たして後輩に出来ているのか・・・」と

別に較べる事ではないのに、そう手紙にはしたためられていた。


彼女は今、何を考えているのか

何をどうしようとしているのか

どういう状況なのかは、この手紙では計り知れないが

とても頑張っていて、そんな中私を思い出してくれたのだろう。

私は素直に純粋にとても嬉しかった。


そして、すごく刺激になった。

私は今、前職とは違う業界で違う職種に就いている。

そして、プライベートもあの頃とは全く違う環境の中にある。

今の私に彼女が会ったら、何と言うだろう。


手紙の最後にこう書いてあった。

「今、一番会いたいのは姉さんです」と。

恋人でもない同性の人にこう言われるのは、とても嬉しいものだ。


なんだかんだで大阪に行けず、結局彼女と2年近く会っていない。

この夏に大阪で会おうとあった。



その時、彼女の目には私はどう映るだろう。



人と付き合う上で、会う事に勝るものは無いが

手書きの手紙にここまで気持ちを揺さぶられたのは初めてだ。

メールではなかなかこうはいかない。

なぜだろう。

同じ文字なのに。

同じ文章をメールでもらっても伝わるのかもしれない。

ただ、携帯メールで気持ちを伝える事は至難の業である。

誤解や憶測を生んでしまう。

ストレートではないのだ。

ストレートにはなれないのだ。

そう実感している。




ただ、今私の手元にある彼女の手紙は

とても新鮮で

とてもきれいで

とても力強く

とてもステキである。

それは、事実。



手紙の持つ力に感謝したひと時だった。




鶴見





「リーダー」

私がいつも直属の上司を呼ぶ時の呼称。



私の会社では、課をチームと言い、課長をリーダーとしている。

しかし、社内でそのリーダーという役職をつけて呼ぶ人はおらず

「○○さん」とみんな呼んでいるが、私は前職時代から上司を役職で

呼ぶ習慣が染み付いており、私だけ「リーダー」と呼んでいる。


今、私のリーダーは33歳・男・派遣業界7年目である。

人を怒鳴りつけた事がないのではないか?という位に温和な人である。

社員からの信頼も厚く、33にしては落ち着きすぎている位で

営業先でのトークはその心地よい落ち着きから「せせらぎトーク」と言われている。


前職と全くかぶらない、この人材業界に足を突っ込み早や10ヶ月。

それが遅いのか早いのか分からないが、今、この業界の難しさ・壁にぶつかっている。

確かに今まで???!!!という事もあったし、謝り倒してばかりの時もあった。

しかしこの半月というもの、毎日毎日朝一番から次から次へと問題勃発。


先輩社員からは、そういう時は続くよぉと言われていたが本当にその通りだ。

確かに仕事をする上で、問題が発生する時って続け様に発生するものだ。

平気だった、

平気なはずだった、

平気なつもりだった、

そして、平気なふりだった。

私も既に29歳、社会人歴7年目。

ある程度の事には動じないと思っていたが、久々にいっぱいいっぱいに

なってしまった今日。

キャパオーバーというよりも、この仕事の難しさや自分の努力では

どうにもならない現実から虚無感に襲われ、意気消沈。

でも、なかなか周りにそれを告げられずどんどん一人の世界へ。


そんな中、リーダーからの電話。

別件でまたもや問題発生の連絡だったが、最後に「最近色々続いてるけど、大丈夫か?」って。

いつも通り「大丈夫ですよ~、全然大丈夫ですっ」と私。

「○○さんも、△△さんも心配してたよ」ってリーダー。

その瞬間、不覚にも・・・涙。

「△△さんも一年前はそうやって泣いてたんやよ」って。

映画館での感動系映画すら涙を抑えられる私が、この歳になって電話とは言え

人前で泣くとは思っていなかった。この歳で泣く事は恥ずかしいと思っていた。


最近、つらい事があった時より、人に優しくされた時の方がヨワイわぁ。



リーダーは以前言っていた。

どんなリーダーであり、どんなチームを作って行きたいかという事を。

俺はあくまで影でサポートしていく存在であって、ゆくゆくは

チームのメンバーが俺無しでも一人で仕事ができるようにしたいと。

先頭に立ってみんなをどんどん引っ張っていくのもリーダーシップであるが

最終的にはリーダーに周りがぶら下がっているのではなく、みんなが独り立ちして

みんなでみんなのチームを前進させていくようなチームを作り上げるのも

リーダーシップではないだろうか。



私はこの業界へ望んで飛び込んだし、仕事には一生懸命取り組んでいる。

でも、前職の時とは違い、自分に家庭や子どもができた場合、状況によって躊躇なく辞めるつもりだ。
ただ、今はこのリーダーの下で仕事できている事に感謝。

声を張り上げるだけではない、数字をつめるだけでない、かと言って優しいだけではない

リーダーらしいリーダーと仕事ができて感謝。


ありがとうございます、リーダー。



nagagutsu


私は今、某人材派遣会社で、ある一つの市を担当地域として営業している。


担当地域には、日本ではトップクラスの大手電子機器メーカーの工場がある。

そこは、まず入り口に大きな門が有り、もちろん守衛さんがいる。

大手企業は、担当者に会う前にこの守衛さんに追い返されてしまう事が大半だ。


先輩社員から、ここはなかなか手強いからじっくり時間をかけて攻略していった方が良いと

言われていた為、あまりにもその守衛さん突破は難易度が高く、担当者に会えたとしても

会社名を鼻にかけて態度が超超デカイ人が出てきて、上から目線で冷たくあしらわれるのでは

ないだろうかと思っていた。

私の性格上、嫌な事は先にやって気を楽にしたいという、ご褒美は後で頂戴的思考がある。


私は初めて一人で営業に出るようになって、まずこの企業の門を叩いてみた。

後先何も考えずに、車を4車線分位ある白い正門の前につけた。

まずの関所は、メガネをかけた堅物そうな守衛さんである。

暖かい日差しに包まれたお昼に、車を降り、慣れないさわやかな笑顔を作り

「こんにちはぁっ」と高い声でまずは丁寧にご挨拶。

当然ながら、ほとんどの守衛さんが口にするように「アポとってから出直して」と返答される

・・・・と思いきや、どこかに内線電話をしてくれているではないか。

「もしもし、○○さん、おるかな?派遣会社の人が来とんやけど」と。

そして、

「正面ロビーでえぇんやな、通すよ」と。

奇跡である。ミラクルである。


なんだかんだで守衛さん突破。

あれよあれよと、人事担当者と会えたのである。

大きな扉の向こうから出てきた担当者は、関西系30代中盤の男性だった。

だいたい、前職でも担当した一流と呼ばれる企業の人事担当者とは

他部署での経験が皆無に近い為か、エリート意識が高い為か、

求職者と新卒の学生と業者相手が多い為か、だいたい態度がでかい、

もしくは物腰は柔らかいが自分のペースでしか仕事をしない人が多かった。

仕事をこちらには急かしてくる割には、社内決裁が遅く待たされる事も多い。


この人事担当者は初めて会ったにも関わらずオファーをくれ、そして予想外にフレンドリーだった。

私が昨年まで10年間大阪にいた事も共通点となり仕事以外の話ばかりの小一時間だった。

仕事の事やら、日々の生活の事やら、ライバル会社の事やら、結婚生活の事やら

その担当者は色々と話してくれた。ほとんど私は合いの手をいれているだけだ。

最後には「飛込み営業は必要やよ。頑張りや。」と。

この春のことである。


そして、オファーはもらったもののなかなか成約に至らず・・・半年経過。

先月、3ヶ月ぶりにその担当者に会いにその企業へ。

久々に守衛さんにもご挨拶。


結局、毎度の如く小一時間雑談。

実は私が始めて営業をかけた企業がここであったという事を告白。

「女性の営業は珍しいからな。それに、うちくらいの企業になると

支店長とかが来るケースが多いんやで。」との事。

一介のヒラ社員で、失礼しましたっ。

守衛さんと仲の良い担当者だったから、ざっくばらんな担当者だったから、

私はあの正門を突破できたのだろう。

そして、その時入社して以来、どのくらいの契約がとれたのか等私の仕事状況を聞かれ

「頑張ってるやん。ようやってるやん。」と一言。

私は自分自身頑張っていると意識した事はあまり無かったが、なんだか妙に嬉しくて

大きな企業の打ち合わせブースでついつい涙してしまいそうだった。

それも上司とかではなく、たまにしか会わないこの担当者にそんな一言・・・。

私はすぐに涙目になってしまうので担当者にもばれてしまったかもしれない。

典型的な言い訳で「コンタクトが合わなくて・・・」。


結局、その企業とはまだ取引は無いが、大切な担当者である。

是非、すごい優れた候補者の方がいたら率先して紹介したいものだ。

営業をしていると、カリカリしたりガックリしたりする事も多いが

こういう出会いも時々あるからおもしろい。


私はコンタクトをつけた事はないメガネ派である。

maruya3


つい先日、「黄色いスープと元OL(2006/06/13記)」の元OLの結婚式があり

栃木県は那須高原へ遠路はるばる行ってきた。

とにもかくにもめでたい。


私は彼女と付き合いが長いせいか、彼女とおじちゃんが二人でヴァージンロードを

歩いている姿を見て、涙が溢れ出し止らなかった。

讃美歌の響く神聖な教会の中で、親族の真後ろに座っていた私の鼻をすする雑音が

讃美歌と共に教会中に響き渡ってしまった。

後日談。

元OLの兄に「感動する場面だったか?」と忠告頂いた。


その場で久々に大学時代の友人にも再会できた。

みんなそれぞれに仕事に恋に頑張っているようだ。

その中の一人、某食品会社勤務の同級生は私の交友関係の中で

最も美しいのではないかというくらい、松雪泰子似の美人なのだ。

大学時代より化粧も濃くなり、かなり大人の雰囲気になっているが

相変わらずその美人っぷりは健在だった。


式と披露宴も一段落し、さてさて親族抜きの二次会へ。

その美人会社員も含めわいわいと盛り上がる中、

話題はその美人会社員の恋事情へと。

大学時代は、不思議な事に色恋沙汰があまり多くなかった彼女だが

最近は結構色々とすったもんだとあるみたいだ。


美人会社員は外見だけでなく、性格も結構良い。

関西人というキャラも手伝ってか、話のテンポも見た目からは

想像ができないくらい軽快で、よく喋る。


彼氏ではない男性と二人で遊びに出掛けられるとの事だが

確実に相手は美人会社員に好意を寄せているはずだ。

それも一人ではない様子。

美人会社員としては、仲の良い男性レベルかもしれないが

要所要所で相手の気を引いてしまっている事は確かだろう。

基本的に優しい性格だからか、むげに断ることが出来ないらしい。

あの美人会社員に目を見つめられ、自分に語りかけられたら

誰しもがコロッといってしまうのは否めない。


付き合うつもりはないけど誕生日に一緒に京都へ行く美形男子、

好意は寄せているが付き合い保留になっている忙しいテレビ局員

・・・と、現在進行形の話題も複数。


美人会社員自身も自分の気持ちがはっきりしてないのではないだろうか。

最終的に彼女の隣に並ぶのはどういう男性なのだろうか。

気立ての良い美人会社員と一緒になる人は幸せ者だろう。


私達同級生の間では、なんやかんや言って美人会社員は

最終的にみんなが「えっ?!!」っていうようなおじさんや、

外国人と一緒になったりするんじゃないかと予想している。

美人会社員も最近、足が短いのに一生懸命足を組んでいる

おじさんが可愛く思えてきたと言っていた。



乞うご期待。


はな

「理想が高いことって良い事よ!妥協してまで付き合いたくない」


昨日、とある居酒屋で医療秘書の友人が言い切った一言だ。



昨日の仕事帰り、半年振りに高校の同級生5人で居酒屋集合。

仕事で30分以上遅れてしまった私は、4人が既に入っているお店を目指して一目散。


私が「ごめんごめん」と言いながら入って行った店の中心の座敷に

久々に会う半年振りのメンバーの顔ぶれが。

飲酒運転事故が叫ばれている昨今、全員、車で移動と言うこともあって

ウーロン茶しか飲んでいなかったが、その座敷は異様に盛り上がっていた。

28歳の独身女が3人以上集まると、我先にと全員が喋りたがる。


遅れて輪に入った私をよそに、みんなはある話題でもちきりだ。

恋愛話だ。

5人も女がいれば、彼氏のいる者、いない者。

同棲している者、好きな人もいない者とそれぞれである。

お互いがお互いの状況を探りながら、情報収集。

そんな中に、彼氏はいないが恋多き医療秘書がいる。


いつからか、コンパなる飲み会の話を持ってくる友人に彼氏ができたその日から

一切そういう話は無くなったが昨年までは、よくこのメンバーで顔を出していた。

医療秘書の彼女は、かかさず顔を出していたが、何故か店を出ると同時に

サササッといつも一人で帰ってしまうのだ。

かと言って、楽しくないわけでもないらしい。

「コンパってその場だけ楽しければいいから」が彼女の言い分である。


昨日の飲み会は、その医療秘書の恋愛事情と恋愛感にスポット!

彼女は昨年、3人の男性に振られ、今年も既に2人に振られてしまったらしい。

そう、恋は多き女なのである。

私とて10代や20代前半とは恋愛感は変わったと思うが

もしかしたら、彼女はずっと一貫しているのかもしれない。


「あんたは理想が高すぎるんじゃないのか」という意見が出て

彼女にその言葉を投げかけてみると・・・

「理想が高いことって良い事よ」と。

確かに悪い事ではない。

恋愛への理想を募らせてしまうというのは、

ほどほどにしないと、恋愛に現実味を帯びてこなくなるのだ。

「完璧な人はいないよ。その人の足らない所を受け入れる器を自分が持った方が」

と、少しばかり意見してみると

「自分を落として、妥協してまで付き合いたくないっ」

と、医療秘書。

こやつ、頑なである。

この言葉に対して、色々と言いたい事がある人も少なくないだろう。

しかし、ここまでハッキリと言い切っていただくと気持ちよい。


昔の人の言葉は深い。

類は友を呼ぶ。

恋愛も同じようなところがあるのではないだろうか。

あまりにもかけ離れた世界の、180度違う価値観の持ち主とお付き合いした事は

今までの28年を振り返っても無かったと思う。


医療秘書がどんな理想を持っているのかは具体的には分からないが

医療秘書以外の4人は、将来、どんな彼氏が医療秘書にできるのか楽しみだ。

実際、口にしている言葉と真逆の人に魅かれてしまったりする事も

恋愛でよくある事だ。

とてもとても楽しみだ。


koinobori

前職で私は凄まじい営業社員と働いていた時期がある。


前職の建設・不動産系企業で私は新卒で希望していない事務職へ配属された。

事務にも色々あるが、私の従事していた仕事はあまりやりがいを感じられず

1年半後、念願の賃貸営業職に転属する事ができた。


関西という土地柄だったのか、西日本の基幹店だったからか

私が配属された支店の賃貸営業社員の数字へのこだわりは

とても強く、隣に座っていても個人個人でプレイしているようなスタイルだった。

今思えば、とてもレベルの高い社員達だったのではないだろうか。


同期社員や年下社員が先輩となり、当然だが私はゼロから仕事を

教えてもらわなければ何もできない状態だった。


必死でパンフレットを読み無我夢中で仕事をし、終電で帰宅する日が続き・・・

やっと少し仕事が身に付きノルマ数字も課せられるようになったある月末、

一本のお客さんからの問合せ電話を私は受けた。


数字の締め日だった事も有り、必死に契約へ結び付けたくお客さんに来店を促した。

どうにかこうにか夕方遅く来店してもらい、辺りがすっかり暗くなった頃、成約。

私と直属の上司は大喜びで、さてさて事務処理をしますか・・・という時、

ある女性の同期社員がコソコソと周りの社員に何か耳打ち。

そうこうしている内に、同じ課の先輩社員がブツブツと何か言い出した。

そしてそして、あげくの果てに違う課の女性課長までもがなにやら不満げに

私と上司の周りをウロウロとし出したのだ。

何かと支店内でも自己主張の強い三人だ。


???

三人とも、少女漫画で人物の後ろに描かれる花ならぬ炎を背中にしょっている様な雰囲気だ。

私はその時初めて、自分の所属している支店の営業マン達の凄まじさを

実感することとなった。


同期社員も先輩社員も女性課長もみんな、私が今、目の前で成約した

お客さんは「私のお客さんだ」と各々に主張してきたのだ。

いわば同支店内で数字の取り合いである。


月末の最終日、それも閉店時間間際での契約。

これは、いつもの契約と違ってそのありがたみは何倍も大きい。

配属2ヶ月目の私としては、その三者三様が背中にしょっている炎のような

殺気がこわくて契約自体を誰かにふってしまいたい気持ちだった。


結局、上司が三人から詳細を聞き、どの社員の主張も曖昧且ついきなりだった為

主張を却下し滞りなく契約手続きは完了した。


私は自分が来てしまった支店の凄まじさの洗礼を受けた気持ちだった。

隣に座っている先輩や同期すらもライバルなのだ。


結局、その後私がその支店で働いた3年半の間に

社員の異動や退職、会社の体制が変わり、営業社員の

数字への執着心や貪欲さは良い意味でも悪い意味でも薄れて行った様な気がする。


しかし、私は転属されてからの最初の半年間はとても貴重な経験が

できたなぁと実感している。


会社としてあの個人個人で数字構成を計っていく雰囲気が

良かったのか悪かったのか私には分からないが、あそこまで

自分達のノルマに対してがっつく営業社員に

私はその後会っていない。





私は周囲の人が言うに、顔が結構「濃い」部類だ。

その私がこいつも濃いやろっと思っている元OLの同級生が一人いる。

同じ年の同じ月に生まれ血液型も同じ、おまけにお互いの母親も

どこかしら似ているという妙な共通点を有している。

ヤツとは大学で知り合い、かれこれ10年の付き合いになる。

最近ではお互いに離れているのでめっぽうメールばかりだが。


メールとは、相手の状況も関係なく意思を伝える事ができなんとも便利であるが、

メールばかりだと、相手と若干の距離を感じる事もある連絡手段ではないだろうか。

・・・まぁ、そんな事はここではどうでもよい。


私も歳を重ね、今はだいぶ改まったのではないかと思っているが

結構自分本位に動いてしまう性質だ。

10代後半から20代前半は特にそれがひどかったのではないだろうか。

そんな私が、「こいつ、どこまで自分本位やねん」って思ってたヤツとは

結構イキが合い、なんやかんやと一緒に色んな事をしていた。

お互い様だが。

写真やら遊びやら恋愛やらヤツとは共に時間を過す事が多かった。

私は怒る事は少ない方だと思うが

本気でヤツの言動にきれた事がある。

本気でヤツにムカついた事が多々ある。

本気でヤツと腹の底から笑える事がある。

本気でヤツと本音を話している。

本気でヤツには耳の痛い事も忠告する。

逆も然りである。


私が相当凹んでいた時期(4/22記)のある日、ヤツは意味ありげに

紙袋の底が沈んでいる見たからに重そうな何かを抱えて部屋にやってきた。

とりあえず、気になる。

何だ?それは。

何なんだ?その重みは?


それは、黄色いスープだった。

一口飲んでみてビックリ。


私は留学時代、同室のタイ人がよく作ってくれた南瓜とココナッツのスープが

すっごくすっごく美味しくて忘れられず、ヤツと大学卒業記念でタイとベトナムを

2週間位ウロウロしていた時も、道端で売られているそのスープをよく飲んでいた。


その見たからに南国色強いそのスープをヤツは作ってくれたのだ。

日本で飲めるとは思ってなかった、思い出深いスープを。

ヤツは結構簡単よと言っていたが、それもわざわざ作ってくれたのが

なんとも嬉しいではないか。

私はお世辞にも料理がうまいとは言えない事を自覚しているが

だからこそ余計にそんなタイのスープを作ったヤツには感謝。

食べ物を食べて空腹が満たされて、美味しくて元気になる事はあるが

たったスプーン一口のスープで満たされるとは思ってもみなかった。

本当に心底嬉しかった。

あの時の私は、何かモノをもらうより嬉しかった。

ありがとう。


そんなヤツも、この秋結婚をする。

めでたい。

ヤツをもらってくれる彼氏にも感謝だ。


幸せになってくださいな。


thai



仕事をする上で何が大切かと問われると・・・



以前勤めていた会社で私の事を私以上に考えてくれた上司が一人いた。

感謝しても感謝しきれない人の一人である。


今思うと、ある時期の私は地に足がついていないという感じだった。

この世の終わりみたいな不幸があった訳ではないが

色々な事が重なって自分に自信が持てない時期があった。

そう、空回りという表現が一番ふさわしいかもしれない。

まぁ、そんな時もあるさ。

そんな自分には女性としての、人としての魅力はなく

もちろん彼氏もいない時期だった。


そんな時期に私は27歳の誕生日を迎えた。

仕事はいつも夜10時過ぎに終わってたし、

月末で余計に仕事が遅く終わった日だった。

自分の誕生日も忘れてしまうような疲れ具合で

いつも通り一人暮らしの部屋に戻って、

いつも通りお風呂にも入って

いつも通りテレビを見ながら

いつも通り一日を終えようとしていた。

その時、携帯が鳴った。

携帯の画面には、上司の名前が。

理由も言わずに「とりあえず、今から出てこい、30分だけでいいから」と。

ありえない。

既にノーメイクで、くつろぎモードに入っている私としては

外に出るのもかなり億劫である。


15分後、深々と帽子をかぶった私は最寄駅前のコンビニへ。

結局私は上司の誘いに乗ったのである。

いつも通りの残業を終えた上司と待ち合わせ、それから近所の居酒屋へ。

そして、生ビールが手元に来て乾杯。

そして、上司が一言。

「ぎりぎり間に合ったな。」と。

ん???

上司は、私の誕生日を祝うが為に私を呼び出したのである。

10月29日午後11時50分。

なんともありがたい話である。

普通、できるだろうか。

簡単にできそうかもしれないけれど、恋人でもない相手の為に

そこまで私はできるだろうか。


その上司は、最初はあまりとっつきにくく話せない人だったけど

きっかけは何だったのか、直属の上司ではなくなったからか

よく飲みに行くようになり公私共に色々な話を聞いてくれる人だった。

それこそ、自分の情けない部分も見せられる上司だった。

おねえ系お茶農園長女(3/11記)と共にこの上司には

とてもとてもお世話になった。


ある日、空回りの私を見て、その上司は「転勤」を進めてきた。

なかなか、そんな事は部下に言えないのではないだろうか。

私が中国に留学していたという経験があった為、

その上司は思い切って上海支店への転勤を進めてくれたのである。

自分のもやもやとした気持ちもこの上司のおかげで形を成し

上海支店へ下見に行くという所まで話を進める事ができた。

最終的には色々な要因が重なり、上海を諦め、

私は大阪での生活に終止符をうつべく退職を選択したが

上海も退職も背中を押してくれたのは、この上司だった。


5年以上勤めた会社を辞めるというのは相当の決心である。

人には本音と建前があるが、この上司との居酒屋での時間は

自分のもやもやとした気持ちを、まとまらずとも口にできる貴重な時間だった。

その居酒屋の時間で私は退職を決心する事ができた。

時には共にはじけて騒いだ事もあった。

時には「情けない事言うなっ」と叱咤される事もあった。

本当にありがとうございます。


あの会社では本当にステキなメンバーと一緒に仕事を

する事ができたと実感している。


今、人材派遣業に携わっているが、仕事内容や条件はもちろんだけれど

一緒に仕事をするメンバー・環境が何より大切だと更に実感している。


仕事をする上で何が大切かと問われると・・・

私は「人」である。


来月あたり、大阪へ行こう。

chair

2年前の春、大阪にある海に近いロマンチックな式場で、

当時勤めていた会社の男の子が結婚式を挙げた。

それは、初めて、私も結婚したいなと思える結婚式だった。


会社の男連中4人と一緒に初めて「新郎側」で参列した。

その新郎は、見た目はいかついごつごつした男だったが

会社で長い間一緒に同じ課で頑張った、可愛い後輩社員だった。


挙式当日、雨が降りだしたり、新郎側での主賓挨拶予定

だった上司が大風邪を引いてしまい急遽欠席になったり・・・と

バタバタの朝だった事を覚えている。


日頃の行いがよかったのか、式が始まる直前に

雨は上がり、ガーデニング形式の式は大成功。

まぁ、男性の後輩社員の誓いのキスなぞ

恥ずかしくて見れたものではなかったが。


そして、披露宴。

私は会社の男連中4人と一つのテーブルに。

急遽ピンチヒッターで主賓挨拶をする事になった上司の

挨拶はすこぶるおもしろく、その後も楽しい宴だった。


披露宴の席で、よくある話だが新郎の友人達が

歌を歌ったのだ。確か5,6人で。

しかし、その彼らの歌がすっごくすっごく新郎の事を思い

歌っているなというのが、ビンビン伝わってきた。

関西だから、やはり笑いありの演出だったが新郎が

どれだけ彼らに祝福されているかを感じる瞬間だった。

歌はケツメイシの「幸せをありがとう」だったと思う。

きっと式まで何回も何回もカラオケで練習したのだろう。

結婚式のそういう余興って、ただのカラオケ状態で

ちょっとしらけてしまう事もたまにはあるが、

彼らの歌は最高に感動的だった。

うまく言葉に出来ないが、心臓が震えた。

これだけ自分を思ってくれる友達がいるヤツを

羨ましいとさえ思えるほどだった。


そして、新郎挨拶の時間。

ヤツは、涙しながら式を挙げられた感謝を言葉にしていた・・・

その時!!

私達の後ろの方から

「ヒィック・・・グスッ・・・ヒィック」としゃくりあげるような

泣き声が聞こえてきた。

最初は空耳かと思える程小さな声だったが、

抑えられなくなってきたのかだんだんその声は

新郎の声よりも大きくなり会場のみんながそちらを振り返った。

すると、「幸せをありがとう」を歌っていた内の一人が

感極まってしゃくりあげて泣いていたのだ。

26歳の男が。

私は初めて結婚式でしゃくりあげて泣く男子を見た。

彼の新郎へ対する思いや絆がとてもとても強かったのだろう。


そしてそして、振り返ってみると

一緒のテーブルの男連中4人も涙涙涙。

みんな目を真っ赤にしている。

いつもは会社でなんだかんだと怒ったり

きれてみたりしている彼らが・・・。

そして、気付けば私も。

それだけ、みんな共感したのだろう。


そんな仲間を持っているヤツはとっても幸せものだ。

そして、そんなヤツと一緒になれた奥さんも幸せものだ。


あんなにも「友情ってすばらしいっ」と思えた結婚式は初めてだった。



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