ファザコンか?
そんな事は30数年、思ってもみなかったが、私は家族の話を人によくするらしい。
人に言われて初めて、まさか・・・私が?とファザーコンプレックス???
と自分自身が驚いたくらいだけれど、まぁ確かに父親は尊敬している。
それは否めない。
父親は永遠に父親なので、私が周りにいる男性と較べる事は無いが
父親以上の男性はいないのではないかと思っている。
私の人生において、とても大きな基盤となっている父親である。
私は大学に入るまで、父親が嫌いだった。
正確に言うと、とてもこわかった。
絶対的な強さを持っている父親で、「俺の金で飯を食ってる内は一切口ごたえするな」と
言われて私は育ってきた。
素直にも父親に反論したのは、社会人になってからである。
今になれば、その厳しさも口うるささも私達の事を思っての事だと痛い程感じ、
その反面、気の小ささも垣間見られる人間性が可愛くもある。
そんな父親が天国へ旅立ってしまった。
まだ還暦を迎えて数年しか経っていない父親の人生は短く太い人生であった。
4年半の闘病生活の中で、いつかはいつかは覚悟していた時機がついに来た。
医者からは、この状態でまだ生きている事が珍しいと言われたので、
そこにも父親の「生」への執着・強さに涙が止まらなかった。
亡くなる前日まで仕事の書類に目を通す程、根っからの仕事人であり、
亡くなる前夜にスイングをしてしまう程、根っからのゴルフ狂だった。
そして、納骨の日の夜、父親が子どもの頃から一緒だった叔父が
父親との会話・父親とのエピソード・父親の性格について色々と教えてくれた。
娘の私は知らない父親の姿が鮮やかに叔父には見えるのだろう。
酒に酔った叔父が
「俺はヤスマサ(父親)にはなれない、ヤスマサの生き方はできない
でも、俺はヤスマサになりたい」と涙ながらに言ってくれた。
それ程二人の友情は深く、真剣なものだったのだろう。
歯に衣着せぬ物言い、
時には人を傷つける乱暴な言葉、
相手を思い耳の痛い事も言う生き方、
事の真髄を分っていた知恵、
確かに嫌われる事もあったであろう。
反面、好かれる人にはとことん好かれる
その生き方に叔父はとことん向き合ってくれたのだろう。
そんな友情を父親は色んな人と築いていたんだと感銘し、
そしてそんな父親の下に生まれた事に感謝し、
娘として、これからの人生を父親の名に恥じぬ様、
精一杯生きていくこと、ただそれだけ。








