俺に公務員合格の可能性があるのか?

27歳という年齢。
学力。
それを考慮すると、現実に合格の可能性があるのは刑務官及び郵政外務である。

本当は郵政外務を狙っていた。
しかし、高すぎる競争率。
加えて適正試験という壁。
この適正試験は一種の知能検査的な試験だ。
「次の多面体を展開した時にできる平面図はどれか」
例えばこのような問題で、5個の選択肢から正解を瞬時に選ぶ。
考えているような時間の余裕は一切ない。
問題数が尋常じゃないほど多い。
何の訓練もしていない人間には3分の1解ければいいほうだ。

この適性試験に備えて、問題集で時間を計りながら何度も何度も訓練した。
それでも時間内にやっと半分できるのが精一杯だった。

もうだめだな。

郵政外務は、俺のなかでの合格率10パーセントになる。



そして、俺が最後の望みを託した公務員。
それが刑務官だ。
競争率は郵政外務ほどではない。
もちろん不況のご時世だから、公務員人気は高い。
しかし所詮、「看守」である。
目立たない、日陰の存在だ。
人気のある職業とはいい難い。
犯罪者を相手にする仕事だ。

つまり、そこに、俺のようなハンパ者が合格するチャンスがあるんじゃないか?

小学生レベルの問題からコツコツ積み上げてきたとはいえ、本腰を入れてから刑務官採用試験までは半年を切っていた。

地方の聞いたこともない出版社が出しているその参考書を、俺はとにかく信じた。
朝から晩までその参考書だけを暗記し、解く。

1回目、5冊全てやり終えた。
だが、まだだ。

2回目。
また最初からやり直す。
5冊全て、2回目をやり終える。

まだまだ。

3回目に突入。
とにかく信じろ。
この本、5冊の本だけを信じろ。

3回目、終了。

暗記物は赤いマーカーで真っ赤に染まる。
数学系は何度も解き過ぎて答えを暗記するくらいになる。




俺を要らない人間だと決め付けやがった者たちを見返してやりたい激しい想い。

一方、こんなただの引きこもりが刑務官なんかになれるわけがないという弱気。

2つの想いが交互に現れては両極に振れてしまう。


独りだった。
たった独りで戦っていた。

誰も励ましてはくれない。
仲間もいない。
俺だけが知っている、俺だけの挑戦。


そして、その日が来る。
刑務官採用試験。

その日の想いは「弱気」。
強気と弱気が交互に現れる気分の振幅は、試験当日に最悪の落ち込みようである。

「合格するわけがない。」
「俺が公務員?俺が刑務官?ありえねえ。」

ありえない。
ありえない。
どう考えても、ありえない。

もう、そんなマイナス思考のオンパレード。



だが、それが良かった。

不思議なことに、その究極のマイナス思考は、俺に「緊張」することを忘れさせたのだ。

どうせ、ダメだ。
ゆっくりやろう。
ゆっくり解こう。
時間が過ぎてもどうってことない。

だって、どうせダメなんだから。
合格なんて、するわけないんだから。


俺は、本当に落ち着いていた。
周りを見渡す余裕さえある。

普段は極度のあがり症。
大事な局面になると決まって出てくる。

震え。
発汗。
赤面。

そんな症状、まったく出ない。

普段通りだった。
家と同じだった。

ゆっくり解く。
ゆっくり思い出す。

小論文。

ゆっくり、書いた。
時間なんて、どうでもいい。
だって、もう不合格って決まってんだから。
楽しもう。
文章を書くことを、楽しもう。






結果。
合格。

や、やった。
信じられない。

だが、まだ二次試験がある。
喜ぶのはまだ早い。

筆記に合格して飛び上がりたいほど嬉しい。
だが、俺にとって最大の難関は面接じゃないのか?

俺みたいな引きこもりが、刑務官としてやっていけるのかを見極められるんだぞ?
色んな仕事を転々としてきた俺。
逃げてきた俺。
それを、全部見られるんだぞ?

犯罪者相手に仕事ができるのか。
それを面接官に見られるんだぞ?

できるのか、お前に。

そう、問われるんだぞ?



面接の日がやってきた。

3人の面接官。
面接者は俺1人。


最終的な質問。

出た。

「しんどい仕事です。嫌な仕事です。あなたにできる自信はありますか?」

答えた。

「今まで、仕事を転々としてきました。嫌になったら辞めてきました。正直いい加減に生きてきました。だけど、今、自信があります。どんなにしんどくても、どんなに辛くても、この仕事を続けていく自信が、僕にはあります。」

不思議と落ち着いている自分がいた。
震えていない。

前もって考えていたわけではないが、このようなセリフが淀みなく、落ち着いて出た。
震えていない自分というものが不思議で、そんな自分を外から見ている別の自分がいた。






ある日、一通のハガキが届く。


採用内定通知。




やった。

・・・・。


やった。
やった。

・・・・・・。


やった!
やった!
やった!


俺、やったんだ。
本当にやったんだ。

俺、刑務官に、なれるんだ。

この、この俺が。

こんな俺が。

マジか?

この俺が公務員?
この引きこもりが、国家公務員?

あの、4畳半の暗闇で震えていた情けない男が、刑務官?



スゴくね?



どうしよう。
どうしたらいい?

俺、人生変わっちゃったんだぜ?


どうしたらいい?




部屋の中をウロウロ。
布団の上でゴロゴロ。

もうどうしていいか分からない。
喜びの極地で、舞い上がってしまって。

そして、嬉しくて。




内定通知が送られてきた翌日。

実家へ帰った。
長らく連絡を絶っていた。

叔父が亡くなった時も。
祖父が亡くなった時も。
そして3歳上の兄が結婚する時でさえ、全てを無視してきた俺。

そうだ。
俺は兄の結婚さえ無視したのだ。


「世捨て人」

ある叔母は俺をこんな風に思っていたらしい。
そりゃそうだ。
自分の殻に篭り、「世間」を拒絶してきた。
まさに「世捨て人」じゃないか。


そんな俺が、両親に報告する。

刑務官として採用された、と。

老いた両親は本当に喜んでくれた。

母は言った。
あんたはいつかすごいことをしてくれると、信じていたよ。

父はひたすら目を凝らしていた。
内定通知を。
刑務官のパンフレットを。
言葉には出さないが、嬉しそうだ。



採用施設は、3000人の受刑者を収容する大規模刑務所である。


俺は、決意した。

この刑務所を、生涯最後の職場とすることを。

何があっても、這いつくばってでも、この仕事を続ける。
定年までこの仕事に喰らい付き、絶対、辞めない。

しがみ付く。
しがみ付いてやる。
誰が離れるか。

逃げ続けてきた、今までの人生。
それは、昨日で終わり。

絶対、絶対に、俺は、やり抜く。

やり抜いて見せる。

強く、強く決意した。

心の底から、決意した。



間もなく28歳になろうとしていた。