倦怠期フライドチキン -26ページ目

さようなら、みきさん。

僕が初めて吉川みきさんと会ったのは、2005年4月。
東京・杉並区 善福寺公園の、満開の桜の下でした。


当時の僕は、馬場俊英さんのファンをやっていて、
馬場さんが開催した「居酒屋ライブ」がキッカケで、
高円寺のガード下にあった居酒屋「呑気放亭」さんと
懇意にさせて頂いていました。

その日は、その呑気放亭主催のお花見の席に
図々しくも、お邪魔していたのでした。

そこに、呑気放亭の常連客で、当時馬場さんが所属していた
事務所「キャシーズソング」の山田英一社長もいらしてました。

その時、山田社長に「ウチのアーティストなんですよ」と、
紹介していただいたのが、吉川みきさんでした。

実は吉川みきさんのお名前だけはすでに存じていました。
馬場さん周辺のライブ情報で、よく吉川みきさんのお名前を
見かけていました。

みきさんは車いすに乗っていて、
愛犬「ダンボ」が一緒でした。

色々話しをして、一緒に写真を撮って頂きました。


この時の自分ときたら、目にものもらいが出来ていて、
醜い顔をより醜くしていたのですが、

みきさんは、そんな自分にも気さくに話をして下さいました。

笑顔が印象的な人でした。

どんな歌を歌うんだろう?
そう思って、奈良に帰ってすぐCDを買いました。
「愛を守る嘘」 「IN MY LIFE」
一発で惚れました。曲も詞も歌も、素晴らしいものでした。

特に「渋谷の午後」という曲が大好きで、

東京へ行った際、わざわざ渋谷のスクランブル交差点が
見えるところに行って、ヘッドホンステレオでこの曲を
聴いたりもしました。(笑)


しかし、そのみきさんを、ステージで観ることが出来たのは
まだその後のことでした。

みきさんは、とても歌えるコンディションではなかったのです。


みきさんは、国指定の難病と闘っていました。

「重症筋無力症」
体じゅうの筋肉に力が入らなくなってしまう
病気なのだそうです。

立って歩くことはもとより、声を出すこともままならない
状態でした。

しかしみきさんは、必死のリハビリで徐々に回復、
杖をついて歩けるまでになりました。

声は出せませんが、山口晶さんや服部祐民子さんなどのバックで
ピアノでサポートする形で、ステージに復帰されました。

みきさんのピアノは驚くほどにパワフルで、
華奢な身体のどこにこんなパワーがあるのかと思う程に
力強いピアノでした。

ライブに行くといつも「ありがとう~~~♪(^^)」と
満面の笑顔で迎えてくれました。

帰り際にいつも握手してくれるのですが、

みきさんの手は小さくてやわらかくて、

「この手であんなにパワフルなピアノを弾いてたのか!」
と、改めて驚かされました。

それからのみきさんは、ピアノ演奏の他、
作曲やアレンジなどで音楽活動を行っていきました。

また、ネットラジオやエッセイを書いたり、
多彩な才能を発揮されました。

そして、いよいよ、声を出して歌うようになりました。

https://youtu.be/SKeT0cUlfzA

かつてのCDに収められているような、
伸びやかなハイトーンボイスは、もう出ません。

でも、絞りだすように歌う、ハスキーで優しい歌声は
僕は大好きでした。

涙が出そうになりました。


いよいよ、みきさんはステージでも歌うようになりました。


とてもファン想いの人でもありまして、

いつだったか、クリスマス企画で、みきさんからプレゼントを
頂いたことがありまして、

手編みの?マフラーと、ポストカード、
そしてCD。

何の曲だろ?とワクワクしながら聴いTいたら、
途中で突然!みきさんの声で自分の名前が!(驚)

なんとコレ、何人にプレゼントされたのかわかりませんが、
1人1人にメッセージを吹きこまれていたんですね。
いやはや、驚きました。嬉しかったなぁ。



みきさんの他にもう1人、「近藤ナツコ」さんという
大好きなアーティストがいます。

近藤ナツコさんはみきさんよりも先に知っていて、
やはりナっちゃんのライブにも通ったりしていたのですが、

ある日、みきさんが「TOY森松」さんというパーカッショニストの方と
一緒に活動をしていた、という話しを聞き、

「TOY森松さんといえば、以前ナっちゃんとも同じバンドで
ライブをやったりしている。もしやみきさんとナっちゃんの間には
接点があるのでは?!」

と思い、ある日みきさんに尋ねてみましたところ、

「うん、友達だよー(^^)」

なんと(笑)
接点どころの話しではなかったのでした。(^^;

この時ほど、音楽業界狭いなー、と思ったことは
なかったですね。

やがてみきさんは、スーパーセッションイベント「Jam For Joy」に
出演されるようになり、ナっちゃんや杉原徹さんなどと
自分的に「夢の顔合わせ」を見せてくれるようになりました。

相馬裕子さんと一緒にライブされた時も驚きましたね。
っていうか、代官山へみきさんのライブを観に行ったら、
隣の席で相馬さんが座って観てた時はたまげました(笑)

ついには、ナっちゃんと2人のユニット「Suncue」を結成して
大阪は高槻でライブをやってくれました。

この日はほんっとに楽しかったなぁ。


精力的に活動をしていたみきさんでしたが、
時々体調を崩されて、入院されることがありました。

でもその度に回復され、またステージに立つ、
そんなことを何度か繰り返されました。


だから今度も、


今度もきっと帰ってくるんだ って、


信じていたというか、全く疑っていませんでした。




2月29日

4年に1度のうるう日

みきさんの訃報を知りました。


正直「何の冗談か?」と思いました。


でも本当でした。


あの優しい歌声も
あの溢れんばかりの笑顔も、
あの温かい手も

もう帰ってこないというんです。

信じろっていう方がムリじゃないですか。

もう少し待ってればまた
「ライブのお知らせ」ってメールが来て、

また会えるんだって

思っていました。


でも本当でした。


3月3日
みきさんの誕生日

吉川みきさんの告別式は、執り行われました。



みきさん、闘ってたんですよね。

むちゃくちゃ闘ってたんですよね。

病気の苦しさ
歌えない辛さ
絶望


病院のベッドの上で身動きが取れない間に、
みきさんはお母さまを亡くされています。


どんなにか辛かっただろう。


もういいんですよね。
もう苦しまなくていいんですよね。



ありがとうございました。
あなたに出会えて良かった。

アーティストとしても
女性としても
人間としても

本当に素敵な人でした。

あなたと同じ時代にいられて良かった。


ありがとう、みきさん
ホントはまだ言いたくないけど、




さようなら、みきさん。