ベートーヴェン先生は

押しつぶされるような困難に直面した時、

致命的な一撃を受けたようにのたうちまわり、

冷めてる時に聴くと、誇大妄想のように感じることがある。


一方、僕は重大な問題を致命的なものとして捉えずに、

それと気づいた時には差し戻しようのない苦いしこりにしてしまう。

平静を保てるかもしれないけれど、

ゆっくりと情熱をそぎ落とされるような嫌な感じ。


拡大と屈折。

ブラームス先生の音楽を聞いているとそのように感じる。

壁を突き破ったり、越えられずに屈折してみたり。

そうやってできた情熱と屈折の軌跡を語ってくれるような。

人生の年輪。


しかし、何が屈折か。

屈折するほど、チャンスがない訳ではないはずだ。

自分はそれほど惨めな状況に追いやられた身分ではないはずだ。


ベートーヴェン先生の音楽は、あんなにも。

暗い情熱も、光あふれる祈りも、

発せられる熱意はいつもまっすぐで、

聞く人の心を激しく動かさんと、ひきずりこまんとしてくる。

宿命のコンボにフルボッコにされながらも、

決して屈さずに確固たる足取りで死んでいった。

「喜劇は終わった!」

これこそ、戦い抜いた者しか吐けない言葉!



困難に対して自分がどういう応対をしたか。

その足取りにこそ、心震える決断を下していきたい。


つまり、

今がチャンスということだ。