2014年。年が明けましたねー。

元旦といえば「書き初め」なんていう風流なイベントがありますが、みなさんやりますか。

ワタクシは、振っておいて何ですが、やりません(笑)

小~中学生の頃に使っていた書道セットは、棚の奥も奥。
取り出すのめんどくさい・・・・。

歳の瀬が迫ると、百円ショップで筆と硯と墨汁を買ってきて書き初めしようかなーとか、ふと脳裏を過ぎるのですが、結局買いません。

年賀状の返事を書く時に、筆ペンを走らせるのがせいぜいの関の山。

まぁ、あったらあったで、どうせクダラナイ言葉を書いてネタとしてWebアップする程度でしょう。

めでたくも何もないので、これでいいんでしょうねー(^^;


ところで、年賀状に書くデカい2文字。

「謹賀」「賀正」「新春」「初春」「迎春」「慶賀」「慶祝」「慶福」・・・・

色々ありますが、こんな字もあります。


「頌春」


これ、なんと読むか知ってますか。

正解は「しょうしゅん」と読みます。

恥ずかしながら、ワタクシは社会人になってから知りました。
見たことはあるんだけど、読み方調べもしなかった・・・・

というか、「こうしゅん」だと思い込んでました。
「公」も「頁」も「こう」って読むせいでしょうか。

年賀状でしか見ない字なので、触れる機会が少ないから、余計に知るチャンスがなかったんでしょうねー。



逆に言うと、見る機会が多い漢字は、読めるし分かるようにもなる、ってことは結構あります。

ワタクシは自称歴史好きなので、歴史関連で出てくる字は結構読めると思っています。


たとえば、「吝嗇」

これ、「りんしょく」と読みます。
「ケチ」ってルビふってる、くだけた本もありますね。
「吝嗇=ケチ」ってことです。

なんで歴史に親しむとコレが読めるのかと言うと、実は徳川家康前田利家のおかげ。

江戸幕府を開いた創始者/加賀百万石の創立者として、一般的には偉人・英雄として知られている家康・利家ですが、ちょっと人物像を掘り下げた歴史趣味本を読むと、大体が「吝嗇家」としても紹介しています。

家康の場合は、

「褌は最初から黄ばんだ布を使おう。そうすれば多少汚れても気にならなくなるから、洗濯の回数が減って、結果長持ちするようになる」と、浅黄に染めた褌を使用していた・・・・とか、

用を足した後に手を拭こうとした紙が風で飛んだのを、庭まで追いかけていって拾って使った・・・・とか、

女中に出されていた味噌汁が塩辛い!というのを、「塩からい味噌汁ならゴハンが進まないから贅沢しなくなる」といって放置した(←これ逆じゃない?とか思うのだけど)・・・とか、

蒲生氏郷に「あれほどに吝嗇では家康公は天下獲れないわ・・・・」と評されただけあって、とにかくケチケチ話がわんさかあります。

まぁ、「ケチ」と「金遣い上手」は相反するようでいて意外と両立するもので、家康は天下を獲るのに必要な時は、惜しみなく遣えました。

そのために「吝嗇ではなく倹約」という評価も、あったりします。


しかし、前田利家は一味違います。

俸禄の割りには抱えている家臣の数があまりに少なく、浮いた収入は懐に入れてホクホクしていたという、頭にドがつく吝嗇家・・・・。

石田三成に「主君から貰ったカネはすべて、家臣や民のために使え!使わずに蓄財に励むなんて不忠だ!」と苦言を呈されていたとか。

隣国が佐々成政に攻め込まれた時、救援に出す兵が足りず、それでも兵を雇うカネを出し惜しみしていたら、

「そんなに銭が大事なら、貯め込んだ金銀を引き連れて援軍に行け!」

と、キレた奥サン(まつ)に千両箱を投げつけられたとか、それもう素晴らしい吝嗇家でした。
(このエピソード、大好き・笑)


このような個性的なキャラクターと結びついているせいもあって、ワタクシは「吝嗇」は高校生くらいから読めました。

触れる機会が多ければ、漢字は読めるし分かるもんだと、そんなお話でした。

「頌春」も、歴史でたくさん出てくるような字だったら読めたかもしれないんだけどなぁ。

なんて、無理矢理に歴史雑談へ結びつけた話を正月に戻したところで、今回はこのあたりで。


新春を寿ぎ、謹んで新年のお慶びを申し上げます。

今年も粋な一年にしましょう。そうしましょう!