もしかしたら、細かい話になるのかもしれないんですが。

「お求めやすい」って、普通はあまり気にならない言葉なんでしょうかー?


いや、今日一緒に出かけた友人が「気にならない」と言うもので・・・・。

ワタクシは、気になって仕方がないのです。

「お求めやすい」って、通販サイトや広告・CMの類でよく見聞きするんですが、どうしてこんな言葉を平気で使えるんだろうかと、とても不思議。 

いや、正しいか間違ってるかが問題じゃないんです。
なんというか、すごく不自然に感じるのですよね。
理屈的にも、語感的にも。


これを似たような言葉で考えてみると。


「書きやすい」「お書きやすい」 >>判定:[ × ]

「読みやすい」「お読みやすい」 >>判定:[ × ]

「見やすい」「お見やすい」 >>判定:[ × ]

「聞きやすい」「お聞きやすい」 >>判定:[ × ]

「歩きやすい」「お歩きやすい」 >>判定:[ × ]

「走りやすい」「お走りやすい」 >>判定:[ × ]


となれば当然、

「求めやすい」「お求めやすい」 >>判定:[ × ]

なのではなかろうか。


じゃあ何が正解なのかといえば、


「書きやすい」「お書きになりやすい」 >>判定:[  ]

「読みやすい」「お読みになりやすい」 >>判定:[  ]

「見やすい」「ご覧になりやすい」 >>判定:[  ]

「聞きやすい」「お聞きになりやすい」 >>判定:[  ]

「歩きやすい」「お歩きになりやすい」 >>判定:[  ]

「走りやすい」「お走りになりやすい」 >>判定:[  ]


だから、

「求めやすい」「お求めになりやすい」 >>判定:[  ]

これが、より良い言葉遣いなのではないかと思うのです。

気にし過ぎなのかなぁ・・・・。



ちなみに、同じようなもので「お召し上がりください」という言葉があって、敬語の本や番組では「誤用だ」とされることが多いようです。

でも、ワタクシはそうは思わないです。

これは「召し上がりください」という言葉の響きが、いまいち「敬意不十分」に感じられることが反映されているのだと思うからです。

『「お召し上がりください」は「二重敬語」だから間違いだ!』と一律に片付けてしまうのは、国語学者の権威主義的な余計なお世話だと思います。


でも、「お求めやすい」は、それとはだいぶ違う気がするんですよねぇ・・・・。

なんでもかんでも「お」だけ付けてりゃ、お丁寧になるって話じゃねーんだぞ、とな。



ついでなんですけれども・・・・。

「いっしょけんめい」「一生懸命」と書かれるのも、なんだかイラっとしてしまいます。

「一所懸命」でしょうにー。
「一生に命を懸ける」って、意味が分からんw

まぁ、ついでだから書いただけで、普段は誰がどっち使おうが、一向に構わないですけどね。
だけれども、せめて放送局や出版社らのメディアは、「一所懸命」を使って欲しいと、思ってしまいます。

こう考えてしまうのは、自分が歴史オタクだからなんでしょうか・・・・(うーん)