photo by:足成 edit by:ごにば
 

GACKT VISUALIVEを絶賛考察中のごにばです。
何も画像を置いてないと、
ちょっともの寂しい気がしたので、
ちょちょいと作ってみましたw

ライブに参戦するとき、
特にVISUALIVEにおいて、いつも思うことは、

「このライヴは全体を通して何が言いたいのか?何がメッセージなのか?」
ということを意識して見ている。

だから、ステージ一つにしても、ダンス一つにしても、照明一つにしても、
何故このステージなのだろう?とか
何故このダンスなのだろう?とか
何故このライティングなのだろう?とか考えを巡らせている。

まぁ、空っぽの脳みそなんで何も考えられないんですけどねwww

人は最期に月を見ながら何を思うのか

これは、確かパンフレットのGACKTさんの発言。
これは、月というのは、自分にとっての誰かではないか?というのが結論。
妙な日本語なので少しずつ解説したい。

VISUALIVEでの映像、夜中の戦さで義経が無数の矢に撃たれ瀕死の状態になっているシーン。
このシーンが鮮明に残っているがために、
このことを指しているように感じる。

だが、人が死を迎えるのが必ずしも夜ではない。
だとすると、人は最期に月が見られないことになる。
そもそも、人によっては、悠長に月など見る余裕もなく最期を迎える。
そこから、月は惑星である月を指す言葉ではないと感じた。

月は人だ。

何故なら、

「太陽のように周りを照らすことは難しいけれども、
月明かりのようにほんの少し前、足元ぐらいなら照らすことができる、
そういう存在になりたい」

とGACKTさんが発言している。
これは、GACKTさん自身の自分の在り方に対する発言。
MOON SAGAの物語の起源はそこから来ている、というような趣旨の発言もされている。

ということは、「人は最期に月を~」の部分の月は、人。
では、その「人」は誰なのか?
自分にとっては誰なのかな~?とも考えつつ、
今回の物語、LAST MOONで考えると、義経にとっては誰なのかな?と思った。

それが3章だったか4章だったか忘れてしまったけれども、
義経秘伝で共に過ごした仲間たちの映像があったけれども、
義経は最期ノ月として、浮かんでいたのは、彼ら仲間たちだったのかな~?
というのが、僕の解釈。

Google先生にMOON SAGAの解釈などを教えてもらったりすると、
4章あたりは月の使者の精神世界の中での義経、
などといった面白い解釈があったりしたのだけれども。

つまり、ここまでを意訳すると、
「人は最期を迎えるとき、どういう人達を思い浮かべ、何を想いながら逝くのか?」

またここで義経へ話を戻すと、
僕の記憶が正しければ、あのシーンで義経はほとんど話していなかったように思う。
「何を想うか?」の部分は、映像としてはあまり表現されていなかった。
そこは、月の使者でもある僕らに委ねている部分だろう。
(ここで言う月の使者は、twitterのどこかで見た発言をお借りしてる。
僕達もまた月の使者である、という解釈は、これはまた面白いし、
実際、上弦の月〜最期ノ月まで見守ってきた存在として、納得が行く)

ただ、義仲とか教経が同時にいる不思議なシーンをこう考えたら、ちょっとすっきりした。

また、あのシーンを「仲間っていいな。素敵だな。」
と、少しでも思った人がいたとすれば、
さらに解釈は以下のような解釈になる。
ただし、上の僕の解釈があっていればの話になるが。。。

GACKさんが毎回される発言で、座右の銘として「微笑って死にたい」というものがある。
これの意味としては、
「微笑って死ねるために、それまでにどういう風に生きたか?」
という死に対する対比でもある。

素敵な仲間に思いを馳せながら死んでゆく。。。
例え想像の世界だったとしても、
そのためには、生きている間に素敵な出逢いをしておかなければ、
当然そのような最期を迎えないのだろう。

あなたは最期にどんな月を見て、何を想いますか?

LAST MOON/G&LOVERS

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■ライブレポート 其の壱
LAST MOON さいたまスーパーアリーナ 7.2