おはようございます。
気まぐれゴンでございます。
神社仏閣を散策するのは大好きですし。
念数なんか腕につけちゃったりしてますが。
本当の意味で信心深いわけでもなく、イエス様の存在を信じてるわけでもなく。
ましてやどっかのカルトみたいに、たかが人間を神としてあがめる程バカじゃありませんが
最近、実体験として実感してるんですが。
もちろん自分を含めて、周りを見渡してみて
あまりに緻密に計算された・・・としか思えないほど、目に見えない何者かに必然的に「気づかされている」
気がします。
因果応報 自業自得
昔から語り継がれている諺は、ながーーーい歴史の中で消えうせなかったそれなりの理由がやはりあるのでしょうか?
「若い時の苦労は買ってでもしろ」
といいますが、若い時はそんな言葉は耳に入らず。
親や人生の諸先輩の方々が言ってた意味を
既に若くなくなってから気づき (ってすみません、諸先輩から見たらまだまだ若造ですね)
それを若い人にどうやったら理解してもらえるかを悩み
「今からでも間に合うだろうか」
などと思いながら、苦難への路をチャレンジする。
今になって
でもこの言葉、いくつになっても通用んじゃないかな。
40になっても50になっても、80歳の方から見れば「若い時」
80歳になってもそれ以上の方から見たら「若い時」
一生苦労して
一生苦難にチャレンジして
燃え尽きて消えていく
死んじゃったらどうせ、あの世には何ももってはいけない
思い出は残せても、物は残せやしない( お金とか、土地なんてのはいずれ消えますよね )
灰になるまで燃え尽きるなら
楽しようなんて思わないで、動ける限り苦労して
悩んで、悩んで、
人間らしくその最後を迎えたい。
そう思う今日このごろ