三原車輛製作所(その38) ソ連向けD51の出荷トラブル | ゴンブロ!(ゴンの徒然日記)

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久方ぶりの「三原車輛製作所」アップです。

 

今回ご紹介しますのは、かなり以前のゴンブロ
三原車輛製作所 その
7
で御紹介したソ連サハリン向け
D51にまつわる件です。

今回の話は、ゴンブロ主宰者の知る限り、史書への記載で見たことがありませんので、ただでさえ情報の少ないソ連向けD51に関する大発見なのかもしれません。

長くなるかも知れませんので、その場合は分割してアップします。

 

まずは、国会図書館のGHQ関連資料(マイクロフィルム)から。 

数ある英文資料の中に発見した資料です。まずは内容をご覧ください。

 

【英文オリジナル】

 

 

【英文再打ち込み版】

 

 

【和訳版】
  

おさらいとして、今回のD51 No.27, 28ではありませんが、ごく近いロットNo.29の三原製作所での写真をアップします。(以前アップしたものと同じです。1949年初めの撮影と思われる。)

D51-29 
D51-29アップ 

 

三原で製作されたソ連向けD515両であり、Rail Magazine 300号の付録を見ますと三原におけるソ連向けD51の完工は19492月から4月までのようですが、この内D51-27(同資料によると完工321日)とD51-28(完工同じく321日)の、具体的な出荷トライ時期が特定出来る非常に歴史的な資料です。

 

今回の資料を見ますと、D51-27281949427日(水)の午前に別々に三原製作所最寄りの山陽本線糸崎駅を出発し、各々28日晩と29日朝に大阪の西成線(当時)の安治川口駅に到着していることが判ります。

完成品出荷目的から判断し恐らく無火輸送でしょうから、通常の貨物列車に組み込まれたものと考えますが、それにしては、戦後の混乱期に所要一日半程度で到着しており、操車場経由でない特別輸送をする等、何らかの優遇処置が取られたような気もします。

なおレターには三菱重工業の三原製作所とありますが、実際には当時の社名は中日本重工業です。新会社があまり人口に膾炙していなかったのか・・・

 

当時のことを考えてみますと、文書自体の日付は67日となっておりますので、推測ながら428日と29日の安治川口到着後、便船への船積み待ちもしくは船積みに際して、最終点検の際に、ソ連側出荷立会者が塗装の皺を発見し、「原因特定までは出荷絶対禁止」の処置が取られたものと思われます。

 

何と言っても、当時のソ連のトップはこのお方・・・



 
スターリン書記長

 

当時のソ連は1930年代からの粛清の余波が残り、秘密警察による恐怖支配が継続していたことが容易に想像できますので、出荷立会者が「カマヘンカマヘン、まあエエワ」と適当に出荷してしまうと、即座に反革命罪や国家反逆罪で強制労働25年(シベリア送り!)等もありえたと推察されます。

ソ連全体が非常に重苦しい体制にあった時代ですので、立会自体にも、本来のエンジニアの他、お目付け役の政治委員が同席していた可能性すらあり。

そこから考えると、春の大阪で、ソ連側が鬼気迫る抗議をしたことは間違いないでしょう

 

一方で、レター形式が修理許可と言うよりは修理報告となっていることから、塗装皺が発見された後、現場サイドではソ連側が事実関係と補修の開始を認めていた節も窺われます。

その辺りの緩急の付け方というか、一方で修理が実際進行している中、あえて補修作業完成間近の時点の報告書が残っているというのも、やはりソ連側立会者が後々の政治的なゴタゴタと立会者個人への災厄の波及を嫌い、きちんと公式記録を残すことに拘ったものではないかとも深読み可能です

 

実際の補修作業を行った場所については、文書にも言及がないのですが、全くの推測ながら、わざわざ三原製作所に返送したことは考えにくく、ごく近くに隣接していた汽車製造の大阪製作所(安治川駅横)で行ったのではないかと思われます。案外汽車会社に資料が残っているかも知れません・・・

なお、三原製作所の資料も当たりましたが、この出荷トラブルの記事はありませんでした。

 

その後のこの2両ですが、特に史実に記載もないことから、補修後は無事サハリンへの出荷が完了したものと思われます。

 

実はこの中の一両、D51-27については、何と1980年代にソ連から里帰りして北海道の別海町鉄道記念館に現存しています

ううっ、行きたい・・・しかし地図を見ますと、北海道 道東の根室から更に奥に入った所ですね。あまりにも遠いですが何とかして現物を見に行きたいものです。

 

次回はこの出荷トラブル前に遡ること、約3か月前、1949年初頭における三原製作所でのソ連検査官検査の様子につき、当時の資料を発見しましたので、御紹介します。

 

それではまた!