三原車輛製作所(その28) 韓国向け戦災復旧蒸機(その8) | ゴンブロ!(ゴンの徒然日記)

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3-4月の年度末・期首の繁忙ですっかり更新が途絶えてしまっておりました。

 

前回に引き続き、1951年に三原で撮影された「謎の韓国向け戦災復旧蒸機」 미가하1578(ミガハ1578)の続報です。

 
 

今回は形式名からの考察です。

 

1945年以降、韓半島に成立した二つの国家における機関車の命名規則は、かつての日本統治時代の鮮鉄局命名規則と極めて類似していますが、異なる部分も生じています。

以前にも取り上げたことがあるのですが、ここで命名規則のおさらいをしておきましょう。

 

1.日本統治時代(1945年まで)

  米国式車輪配置名称の二文字+補助記号の一文字で形式を表現する。
その後は同一形式内連番

 車輪配置名称:例 2C1→パシフィック型(パシ)、1D1→ミカド型(ミカ)


 【補助記号】

 1(イチ)         

 2(ニ)           

 3(サン)        

 4(シ)            

 5(ゴ)                      「ゴ」ではなく「コ」

 6(ロク)         

 7(ナナ)        

 8(ハチ)        

 9(ク)            

 10(ヂウ)                「ジ」でも「ヂ」でもなく「チ」

  (例外)狭軌機関車には車輪配置名称として「ナキ」を使う。
(ナキ:ナロー軌道の略です。)

上記の規則に従って、パシフィック型(2C1)の5番目の形式は「パシコ」、ミカド型(1D1)の三番目の形式は「ミカサ」となります。

本当は、補助記号は小さい字で書くのが正なのですが、読みづらくなるので、全部字の大きさは揃えて表記しています。

 

2.南朝鮮/韓国(1945年以降)

 米国式車輪配置名称の二文字+数字で形式を表現する。その後は同一形式内連番

 車輪配置名称:例 2C1→パシフィック型「파시(パシ)」、1D1→ミカド型「미카(ミカ)」

 狭軌機関車には車軸配置名称として「狭軌」の韓国語読みである「협궤(ヒョーキ)」を使う。


 鮮鉄局の形式を読み替えただけなので、戦前から継続使用されている形式は簡単に読み替え可能です。

  旧パシコ→파시5

旧ミカサ→미카3

解放後導入の機関車も、命名規則は一緒です。ミカド型(1D1)については、戦後新たに3種類の機種が増えたので、미카5、미카6、미카7という形式が出来ました。

 

三原における戦災復旧パシコの写真파시5 30パシコ30

 


 

3.北朝鮮(1945年?以降)

 

最近の資料を見ると、蒸気機関車は「증기(チュンギ)」(漢字で書くと「蒸気」)の後に連番、ディーゼル機関車は「내연(ネヨン)」(漢字で書くと「内燃」)の後に連番となっていますが、電気機関車は形式毎の固有名称(プルグンキ:赤い旗 等)+連番となっているパターンが多いです。

 

以下は最新型の「先軍プルグンキ」の写真


 

最近の形式名称はさておき、問題は過去の形式名称で、1960年代にプルグンキが導入するまでは、電気機関車であれば以下と命名されていた模様です。

「デロイを探せ!(その19)」ご参照。

これは、数少ないサンプルから検証しての推測ですが、同形式は1956年の北の新聞「交通新聞」にも記載がある位なので、結構イイ線行っていると思っている次第です。

 

電気機関車には「電気」の朝鮮語読みの「전기(チョンギ)」+補助記号として、朝鮮語の数詞の内、固有語(日本語でいう、一つ、二つの数え方)の頭文字を並べて形式を表現する。

 

【補助記号】

 1               하나(ハナ:一つ)の「하」(ハ)

 2               두(トゥ:二つ)

 3               셋(セー:三つ)の変化形の「서」(ソ)
 4               넷(ネー:四つ)の変化形の「너」(ノ)

 

上記の規則に従って、電気機関車最初の形は전기하(チョンギハ:電気1)となります。

 

전기하3(チョンギハ3:形式「電気1号」の3号機)と記載のあるデロイの姿
 

同じ写真のアップ
プレート部分にご注目


 


延々退屈な話が続きましたが、ここで「미가하1578」(ミガハ1578)を上記の電機命名規則から類推しますと、

 

「미가」は미가사(ミガサ)の「미가」(ミガ):         

「하」は하나(ハナ:一つ)の「」(ハ) 

 
 


すなわち、ミカド型の第一番目の形式の車番1578号、日本時代の名称に直すと、ミカイ1578という事になります。

ミカサがミガサと濁る理由はよく判りません。また反日国家である「北」で日本的なるものの極北である「ミカド」が使われ続けている理由も判りません・・・

1950年代の鉄道ピクトリアル「旧鮮鉄の機関車」でも、「朝鮮人民共和国(北鮮) 大韓民国(南鮮)とも鮮鉄時代のものをそのまま受け継ぎ、特に形式番号の整理は行われていないようである」とさらりと書いていますが、理由は不明です)

 

しかし、形式名称がミガハ→ミカイというのは推測が付きますが、車番の1578の意味はやはり謎です。以前のゴンブロでも取り上げました通り、満鉄ミカイはNo. 1283までしか無かった筈なので、ナンバープレートの1578の意味は謎です。

満鉄内部でミカコとされていた1935-1937年生産の形式(ミカイに炭水車容量の増加を施した小改造機)が生産当初は1570-1587番が与えられていますが、19384月の形式変更の際にミカイ71-88に改番されてしまっており、つじつまが合いません。

華北交通(満鉄の子会社)向けの製作車輛の番号が判る資料がないものでしょうか?

 

 

今回、本形式を含め、1940-1950年代の「北」の資料のサンプル収集にトライしたのですが、資料そのものが大変少なく、全然見つけられませんでした。当時から、かの国の情報発信量は極端に少なく、国会図書館にすら記録がありません。

 

うーん残念・・・

もしかしたら、ソウルの韓国の国会図書館に行ったら、案外資料があるのではないかという気がしてきました・・・

 

それではまた!

今日はもう一件アップします。


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