三原車輛製作所(その19-1) 1947-1948年の中華民国から日本への蒸機引き合い | ゴンブロ!(ゴンの徒然日記)

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三原車輛製作所(その18


にて「(南朝鮮、中華民国からの)戦後直後の大規模蒸機引合」をご紹介したのですが、国会図書館で更に同情報を探求の所、1949年の第6回国会(衆議院)にて「大陸(中華民国)からの引合に基づく見込生産が宙に浮いてトラブルになっているが政府はどうするつもりか?」 との趣旨の質問答弁が記録に残っていること判明!

 

たまたま、国会図書館で検索の結果、発見した記事だったのですが、ネットで「ミカイ 衆議院」位で検索してもヒットする情報で、ビックリです。

 

この記事によるとどうやら、1947年夏にGHQ窓口による貿易庁/中華民国との交渉で満鉄ミカイ15両、満鉄ミカロ5両の購入がほぼ確定し、19479月には貿易庁→GHQに輸出許可申請書を提出するまで具体化するも、その後結局正式契約に至らなかったことが発端になっているようです

答弁二本の内、中華民国からの引合経緯があるのは日車の方だけなのですが、明らかに日立の話も本件と関係する気がします。


また、この「満鉄ミカイ15両、満鉄ミカロ5両」という数量に着目すると、以前のゴンブロ

三原車輛製作所(その13


で触れました、19458月以降の韓国向け蒸気の動乱勃発前生産分をうまく説明できることに気づきました。

(オリジナルの文章は歴史的仮名遣いと現代仮名遣いが微妙にまざっていたので現代仮名遣いに直しました。)

 

Ⅰ 衆議院議事答弁記録から

 

(その1

まず一件目は社会党 赤松勇代議士(愛知県選出)による「日車ミカイ注文流れ」に関する質問です。赤松代議士は現在民主党所属の赤松広隆代議士の父親ですね・・・

 

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b006062.htm

 

①質問本文情報

昭和二十四年十一月二十二日提出
質問第六二号

 中国向け車両の注文流れ品の代金補償に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和二十四年十一月二十二日

提出者  赤松 勇

          衆議院議長 幣原喜重郎 殿

中国向け車両の注文流れ品の代金補償に関する質問主意書

愛知県熱田区三本松町にある日本車両製造株式会社本社工場には、昭和二十四年八月中国向けとして生産した「ミカイ型」蒸気機関車五両が注文流れとして滯貨して居るが、この代金を政府において補償する意思があるか。

 右質問する。

 

②答弁本文情報

昭和二十四年十二月一日
答弁第六二号

(質問の 六二)


  内閣衆甲第一二五号
     昭和二十四年十二月一日

内閣総理大臣 吉田 茂


         衆議院議長 幣原喜重郎 殿

衆議院議員赤松勇君提出中国向け車両の注文流れ品の代金補償に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

 

衆議院議員赤松勇君提出中国向け車両の注文流れ品の代金補償に関する質問に対する答弁書

 本件は、昭和二十二年四月中国ミッションとして王氏来朝しGHQに対しミカイ型蒸気機関車十五両、ミカロ型蒸気機関車五両の購入方申込があり、当時貿易庁はGHQのあっ旋により本商談に関し価格、納期その他契約條件について買手と数度にわたって交渉し、同年九月輸出許可申請書をGHQに提出するまでに至ったのであるが、不幸にして商談が纒らないままで、買手である王氏は帰国したものである。本質問書にある五両はこのときの一部である。
 日本車両製造株式会社は、日本政府がGHQ宛提出した輸出許可申請書が承認せられない前本商談が纒ることを予期していわゆる見込生産を行い、よつて滯貨となったものであるから、政府としては本件はなん等補償する義務は無いものと思う。
 但し、メーカーの見込生産による滯貨とはいえ国内転用の困難な商品であるから、政府としてもあらゆる機会を捉え本車両の海外売込方努力中である。

右答弁する。

 

 

(その2

 

もう一件の方は共産党 田中堯平代議士(山口県)による「車両産業に関する質問書」です。こちらも3番にミカイに関する記載あり・・・

 

 

  質問本文情報

昭和二十四年十一月二十四日提出
質問第七五号

 車両産業に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和二十四年十一月二十四日

提出者  田中堯平


          衆議院議長 幣原喜重郎 殿

車両産業に関する質問主意書

一 昭和二十五年度の国鉄の車両予算は二十四年度に比較してまことに微々たるものであるが、どういう訳で少いか。それを増額する必要を認めないか、認めないとすればどういう理由か。
一 岡山県の汽車製造株式会社は、二十四年度の国鉄車両予算削減により今年度は車両受註量が皆無であり、又電力量の削減により鑄鋼品の製造もできず、組合員は整理、労働強化、賃金遅拂によって生活は破たんにひんし、企業自体も崩壊の危機に直面している。この危機を打開するために、
  (一)車両予算の増額 (二)電力量の増配 (三)中日貿易の促進
 を必要とすると思うが、政府の方針如何。
一 日立の笠戸車両工場においては、昭和二十二年鉱工品貿易公団より引合いのあった中国向けミカイ型蒸気機関車五両は、すでに製作を完了し、未だに契約成立せず工場に滯貨している状況である。該製品は中国向として製作したものであり、中国に輸出することが最善の途であり、又車両産業の危機と従業員の生活の破たんを救う途でもあると思うが、政府の考えはどうか。

 右質問する。

 

 

  答弁本文情報

昭和二十四年十二月一日
答弁第七五号

(質問の 七五)


  内閣衆甲第一三六号
     昭和二十四年十二月一日

内閣総理大臣 吉田 茂


         衆議院議長 幣原喜重郎 殿

衆議院議員田中堯平君提出車両産業に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

 

衆議院議員田中堯平君提出車両産業に関する質問に対する答弁書

一 昭和二十五年度国鉄車両費予算は、現在の過程においては昭和二十四年度より多額である。しかして二十四年度の予算により購入された車両中、二十三年度中に車両会社の見越生産をもつて充当されたものが相当数あり、現実に二十四年度に生産されたものは予算の一部にすぎなかったのであるから、二十五年度において、車両会社において国鉄向に生産する車両は、二十四年度より相当多いことと思われる。
  なお、政府としては、国鉄の車両の整備をはかるとともに併せて車両会社の育成を望んでいるが、国鉄財政の現状よりこの希望が充分逹せられないのは残念である。

一 前問の如き国鉄の車両発注事情及び輸出不振により、汽車会社岡山工場のみならず、各車両会社において受注不足に悩んでいる。又電力量不足についても同様であり、遺憾にたえない。
 (一) 政府としても、国鉄の車両予算の増加、私鉄発注の促進に極力努力している。
 (二) 電力量の増配についても極力努力している。
 (三) 中国との、鉄道車両に関する貿易については、戰前わが国車両生産量のほゞ半ばが中国、満洲に輸出されていた実情にかんがみ、政府としても、極めて深い関心を持っている次第であるが、車両は管理貿易下の今日、日本政府の一存では輸出許可が與えられない事情にあるのでこの点御了承願いたい。

一 日立製作所笠戸工場手持のミカイ型蒸気機関車は、大陸向のもので、国内転用が困難であるから、輸出されれば車両工業の危機打開の一助ともなるが、今日のところいまだ商談の成立しないことは遺憾であるが、政府としてもあらゆる機会をとらえ輸出すべく努力中である。

 右答弁する。

 

 

 

答弁は以上です。前回御紹介のGHQ文書でもそうですが、こうやって公文書にミカイ、ミカロという言葉がきちんと残っていたことには衝撃を受けました。

 

この項の最後に満鉄ミカイと満鉄ミカロの写真もつけておきましょう。

 

 
ミカイ クリア 
 

前回も御紹介の満鉄ミカイの写真

1935-1937年に製作されたミカイ583(「おもいでの南満洲鉄道写真集」から)です。

 

 
 

満鉄ミカロの写真

ミカロはミカイ型を亜幹線用に一回り小さくしたものですが、ミカイ型との共通部品も多そうに見えます。やはりこの写真も戦前の撮影です。1938年製作のミカロ643

(「おもいでの南満洲鉄道写真集」から)


(エディタの限界でしょっちゅうデータが落ちるので以下ブログを改めます)