デロイを探せ!(その9) デロイ/デロニ 戦後の遍歴 | ゴンブロ!(ゴンの徒然日記)

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 今回はデロイ/デロニ 戦後の遍歴です。
内容が内容だけに、今回は妄想の入った推測ばかりの内容となりますがご容赦下さい。

以前のゴンブロでも取り上げました通り1945年8月の時点で朝鮮半島に渡っていたデロイ/デロニは9両で、その内8両が京元線の福渓/高山間で就役中、1両は京城で保管中でした。
鉄道ピクトリアル1956年12月号を見ますと、戦中の酷使が祟り(前回取り上げた通り、機銃掃射を受けた車両すらあったようです)、かなりの台数が終戦時動けなくなっていたとの記載があるので、下名は京城にある1台は施設の整っていた京城で修理中であったと推測しています。(1944年11月製作分のデロイ6が神戸
港での船積待ちで結局船積みできずに終戦を迎えたという以前紹介から考えますと、戦中、新車で届いた車体(デロイ5もしくはデロニ4)を未使用のまま京城で保管していたたとは考えがたい)

こんな中、1945年8月9日の満洲侵攻の際に日本軍の側面を絶つために半島北部に侵入したソ連軍はそのまま半島北部で日本軍を次々武装解除、終戦後沖縄から遅れてやってきた米軍も9月初めには京城はじめ主要都市に進駐する状況のもと、南北の鉄道の往来も38度線を挟んで8月下旬には停止となり、この時点で半島にあったデロイ/デロニは北部8台、南部1台と泣き別れになりました。


問題はその後です。

この百科事典は1980年代にピョンヤンで出版された全10巻程の図鑑で、表紙は茶色金文字で、表紙も中身もオールハングルという非常に読みづらい代物ですが、運輸編をよく読むと北朝鮮鉄道電化の歴史や、路線ごと、輸送品目ごとの輸送密度も載っていると言うウソのような「使える」資料です。(まあ書いていることを100%信頼できない気もしますが)
こんな資料を開架エリアにさりげなく置いている国会図書館は本当にエライ!
だいたい毎ページ一箇所は出てくる、金日成主席の教示や、金日成著作集からの引用が気になりますが、電化極初期の年度別開通の経緯は添付の通りです。判り易くする為に日本語の翻訳地名もつけました。
これを見ますと、北朝鮮の最初の電化は平羅線(ピョンヤンと北部の工業地帯を結ぶ幹線)の山岳区間 陽徳と泉城間(図の①)と、満浦線(北部山岳地帯を通って旧満州に抜ける区間)の价古と古仁間の勾配区間(図の②)に1948年に行われたことが判ります。(なぜかと言うか、当然というか京元線の電化区間は無視されていることにご注目)
また極初期の満浦線を除くと、一貫して電化努力が平羅線を対象にしていることが読み取れると思います。
地図は前回のゴンブロのものと同じものを元にしていますので比較してみてください。



電化区間下名はこの二箇所のどちらか(あるいは両方)に1948年に京元線で稼動状態にあったデロイ/デロニ全てが施設ごと転用されたと推理してみたのですが、如何でしょう?
推理の背景は以下の通りです。全て推測なのでその分割り引いてご覧ください。

1.日本統治時代の南北軸(日本と大陸との動脈)に変わって、建国により国家の東西軸の整備が緊急の課題となった。
2.南北分断により京元線の輸送量は日本時代ほどのの容量が必要ないレベルまで下がった。
3.戦後のソ連の物資略奪はひどかったが(たとえば総発電量60万KWの水豊水力発電所の発電機は7台中5台がソ連により持ち去られている)鉄道車両はゲージの違いもあり、比較的略奪にあっていなかった。変電所設備もそのまま残っていた。
4.1948年と言えば、北朝鮮が建国された年(1948年9月成立)であり、内外に共産主義体制の優位性を示すような、即効性のあるイベントが必要だった。
5.(当時事実上の宗主国の)ソ連も電化形式は同じ(直流3000V)であり、車両は別として電化設備についてはある程度の援助は可能だった。
6.そういった前提で京元線の施設・設備・人員・車両をそのまま転用し、人海戦術で短納期で工事を進めた。
7.北朝鮮の上記事百科典の表記はある意味正しい。


1の論理展開からすると、満浦線の電化整備は、国家の東西軸とは直接関係ないとの指摘がありそうですが、同区間が旧満州との輸送の隘路(新潮社の「日本鉄道旅行地図帳〈歴史編成〉朝鮮台湾」)を見ても、矩形に曲がった急峻な地形です)となっていたこと、その満洲から当時続々と軍需物資が流れ込んでいたことを考え、戦争準備という別の観点からの整備であったとすると、後の歴史から見ると不気味な符号があります。
(当時大陸では国共内戦が続いていましたが、既に中国共産党軍は旧満州を制圧下においていました。国共内戦終盤には戦局が一段落したことから、1949年夏からは八路軍所属の朝鮮人部隊が編成そのままで朝鮮人民軍に組み込まれはじめます)

上記の北朝鮮の百科事典では、初の電化区間二箇所については「祖国解放戦争時期に破壊(朝鮮戦争時期に破壊)」と記載あるだけで、真相は闇の中です・・・・このあたりの一次資料が出てくることはあるのか・・・


今回も長文になってしまいました。

おまけはソ連の同時期の主力電気機関車ВЛ19型電気機関車です。(ВЛはウラジミール=レーニンの省略、そう マルクス、レーニン主義の総本山のあのお方のことです)
 
VL19
同機関車は1950年代の朝鮮戦争後の戦後復興の時代にはソ連が北朝鮮に供与したとの噂もあるのですが、下名がWikiのロシア語やドイツ語ページを見ても「韓国「朝鮮」の記載は見つけられませんでした。
1950年代の供与はさておき、独ソ戦で疲弊していたソ連が自国の需要をさておき、改軌をほどこしてまで衛星国にはやったとは考えにくく、1940年代後半の供与はなかったと下名はふんでいますがどうでしょう?

それではまた!

添付は先日国立国会図書館(関西館)に行って発見した「朝鮮地理全書」運輸編からの抜粋です。

電化地図R