昨日「しゃべくり7」で高橋真麻親子が出ていて、仲良しトークを繰り広げていて正直羨ましかった
私は父とあんな仲良しトークも英樹さんが真麻さんをいとおしく見るような表情で見られたことも一度もありません。
昔から長女だから女の子らしく清楚に育ってもらいたかったらしく気持ちが強かったのだと今は思います。
私に対して父は怒ってばかりでした。
躾も今では男女差別みたいなことを平気で言われていました。
「(兄)男は良いけど女(私)はダメだ‼️」
凄いでしょ?でもこれが普通だったんです。
年の離れた妹が産まれて妹にもそういう教育をすると思っていました。でも違いました。
末っ子の妹は甘え上手の転がし上手
父は可愛いし自分に顔が似ている妹が可愛いくて仕方がありませんでした。
妹に嫌われたくないのか私には許さない事も妹には許していて甘くデレデレしていて羨ましいただそれだけでした。
私は顔も性格も母親ゆずりで社交的ではなく暗くいつも部屋の隅にいる感じでした。
成績も悪ければ運動音痴
妹はいつも友達が多く、成績も運動も人並みに出来て父の理想のこういう風に育って欲しいを地で行く子でした。
私は一度ストレスだったのでしょう父と母に言ってはいけない一言を言いました。
「なんで私女で生まれたの?男が良かった‼️😠」
と言って酷く怒られたのを覚えています。
兄も許される妹も許されることが私には許してめらえませんでした。
高校生の頃、門限があり7時に帰るのも無理でした。
私は太っていたからなのか父から
「お前は太っているからミニスカート履くな!」
と言われていました。
妹は痩せていてスタイル抜群。ギラギラギャルファッションをする妹
今でも覚えています。
妹が高校生の頃、夜ミニスカートにミュールを履いて出かける妹を笑いながら父が
「おーミニか😊道路に座り込むんじゃねーぞ」
と言って笑顔で送り出す父
私は耳を疑いました。でもそれが毎日続き父に対する怒りがこみ上げてきました。
私はギャルみたいな格好は許されず、タンクトップ、キャミソール一枚も禁止。
妹はリビングに寝転んでタンクトップにショーパンでお腹だしてグダグダしても何も言われませんでした。
妹は国家試験を取り余計父を喜ばせました。
看護婦になり、一時期は給料30万もらっていて父の誇りでした。
私は発達障害で仕事をしても長続きせず仕事を転々とし、挙げ句の果てには引きこもりニートになりました。
父は私が失敗するたびに見下した顔をして
「子育て失敗した」
と吐き捨てるようにいい放ちました。
何時だったか父が酷く酔っぱらって妹の手を握りしめ妹の名を力強く呼び
「お前はウチの期待の星🌟だ‼️姉ちゃんは駄目だったけど」
と私の目の前で言われました。
もし私が強かったら泣き叫びながら包丁で父を何度も刺し殺していたか重体になっていたかもしれません。
ただ弱く行動力のない私は、その光景を無表情で見つめながら拳を握りしめることしか出来ませんでした。
父が妹が結婚したとき母に
「お兄ちゃんも⚪️⚪️(妹の名前)も結婚したからもう悔いはない。スッキリした」
と言いました。母が慌てて
「お姉ちゃんがまだいるじゃない‼️」と言うとただ一言
「忘れてた」
だけ。それ以上私に対して何もいいませんでした。
周りに私の身の上話をすると
「親子でも相性があるから…」
と言われました。
私は父と
相性が悪いんです。