日本人にとって、とても重要な意味をもつポツダム宣言、そして今なお続く,戦後の
問題などなど戦後の多くのことを決めるべく1945年の7月、ここドイツのポツダムにおいて

アメリカ  トルーマン、イギリス チャーチル、そしてソビエトのスターリンが集結して
いかに日本に対し、早急に無条件降伏させるかの話し合いにはいった。

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ポツダム会議、そして宣言がなされた場所
ツェツィリ エンホーフ宮殿だ。20世紀の初めに建てられたホーエンツォレン家の宮殿だ。

実際には会議は当初ベルリンでされるよていであったが、ベルリンはその当時ドイツの敗北とともに壊滅的な状態であったから、比較的被害の少ない森の中にあるこの美しい宮殿に決定したそうだ。

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森なかにあり、あまりにもイメージしていた硬い雰囲気とは大きくはなれた優雅な美しい宮殿だった。



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今は半分はホテルとして使用されている。

そして半分は博物館というか資料館というか、なかでオーディオガイド(日本語)をかり
屋敷のなかを見物することができ

各国の首脳の控室、食事のへや

そして会議を行った、日本の戦後について話し合われて大きな天井のたかい、美しい部屋、どこの
トルーマン、スターリン、チャーチルが座っていたのかまで、旗の位置で分かるようになっていて
サイドには各通訳と外務大臣がいたそうで、応接セットなどもその時のままで
この旅で一番、私にとって強烈な、また重要な場所だ。

今でも日本はその中身を引きずっているのだから、凄く考えされられる。

その会議には中国の蒋介石は参加せずに後から了承ということらしい。チャーチルは途中で国内
の選挙で敗れて国に途中で帰国などなど、、当時の模様が説明され非常に日本人とすれば複雑な
気持になった。

ポツダムの駅からトラムとバスに乗り換えていくのだが、そのバスの中で中国人の王さん、23歳
の男性の留学生と知り合いになり、一緒に歩いてその場所を回った。二人で色んな話をしながら
これも不思議だ。いまは日本と中国は平和だからいいね、などといいながら、、

でも彼は日本の戦争責任者の写真を見て、彼が南京事件をやったんだ!よね。って

あぁ、ほんと戦争は嫌ですね。平和がいいわ。

でもいいよね。こうしてお互いに自由に話ができるんだから、いまは、、なんて一杯話して

その後ワンさんと別れて急いで町のセンターに行き、もう夕方だったけどサンスーシ宮殿を
見に行った。





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ポツダムのブランデンブルグ門
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サンスーシ宮殿、でも太陽が傾いてきた。急ごう!
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日が陰ってきたので、もう写真がうまくとれなくなってきた。

小さな町でここも楽しいお店も沢山あって街歩きも良かった。

でもベルリン郊外のポツダムへの旅は複雑で忘れられない1日です。