コペンハーゲンの駅は大きい、そして騒がしい。その柱の隅でスーツケースに座って、熱いカレーを、箸で食べている

東洋のオバサンひとり、、、何をしていても人のことなんか気にしてる人はいないようだ。色んなひとがいる。

空きカン集めをしていた中国人のオバサンが私を見つけて親しげに中国語で話しかけに来る。

半分わかるが、半分何をいってるのか聞き取れない。箸でカレーを食べている私に親しみを感じて

故郷を思い出したのだろうか、、、

色んな国の人たちが急ぎ足で行き交っている。

何人で、何語を話しているのか、、、、


隣の家族も何語がわからん、聞いてみるとグリーンランドからとか、片言英語で笑顔でかえってくる。

どこやったけ?


明日9月6日の朝10:00にアムステルダムに着く予定である。


私は何か食べるものを探して,構内をうろうろ、YAMYAMをみつける。これは色んなカレーを

パスタや、麺、ご飯を自分で選んでセットで売っている。

兎に角、暖かいフードがいいので、でも私は自分で作った白いご飯をもっている。


店員にそのカレーだけ売ってくれない?

じゃ、店長にきいてみる。 OKだよ。40クローネでいいよ。



私は持っていた41クローネを全部だして、彼女ありがとう!


ホームに行くと、プラハと書いた長い長い列車が入ってきた。この最後の2両はメチャ遠いけど

アムステルダム行らしい、途中で切り離すので


皆大きな荷物を持って、急いでホームの端まで急ぐ。


かなり、早めに行って、何回も解らなかったらきいて、確認を繰り返しで、最後にホームにきたら

待っている。人にまた同じ列車なのか、、それぐらい確認しないと外国ではミスすることがある。


日本で暮らしていると、すべてわかりやすく組織化され、簡単だが、こっちはそうではない。

言葉も一杯あるし、ホームもa,bに分かれていたり、行き先だけしかかいてなかったり


急にホーム変更があったり、とか、ほんと自分よ同じ列車に乗る人を数人マークして置くぐらいの

注意がいる。


先日のハンブルグからの列車も10分前にホームが変更になっり、私はドイツが聞き取れずに

皆が歩き出して、その変化に気づいた。


だからいつも気を許せない。


momoのブログ


自分の席を見つけてホットする。

私はいつも1等だか今回の初めての夜行は2等のクシェット(寝台)にした。1等の寝台なら追加料金が

ホテルより高い。横になった眠れるだけで十分だ。


それでも去年の南米の旅にくらべるととてもとても贅沢だ。凍り付く窓を見ながら、深夜バスに座って夜を

越した日もあった。あんな体力どこにあったんやろ、、、今考えると

やっぱり、行きたい気持ちが体をささえているような。


ベッドは3段、時間がくると皆で決めて、背もたれの部分を持ち上げるとベッドができる。


私が行くとまだ誰もいなくて、すぐ若い毛深くて浅黒く目の鋭い男性が入ってきて、ここらしい。

自分はチェニだよ!,チェニって、チェニジア?あの北アフリカの?そうそう、綺麗な国だよ。

ケルンまでいくんだ。いまフランスのツールズで仕事してるんだ。



momoのブログ

片側はずっと廊下で、反対がコンパートメントだ。


結構愛想がいい。


私がショコラーンというと、彼は嬉しそうにアラビア語話せるの?と握手。


そこに、ドイツ人で60歳の太り気味で、人のよさそうな、いかにものんびりした、さらにゆっくりした

解りやすい英語でいつも笑みをうかべながらはなす。

僕はね。年金生活者さ、、ドイツの田舎からきてケルンの手前だから5時ごろに降りるよ

酒ののみすぎか、ほっぺが赤い。


次にやって来たのがサンフランシスコからの旅行のアメリカ人夫婦、典型的な朗らかで陽気そう

どちらも54歳、奥さん学校の保健の先生、旦那はエンジニアだそうだ。やっぱり彼らも話好き。


役者がそろって面白そうな旅の始まりだ。
momoのブログ


皆で自己紹介をしあっている間に、陽が陰っていく。列車は来たときとは違う遠回りのルートでハンブルグへ行く。だからフェリーに降りることはない。

ドイツ人の彼がなんども10時になればベッドをつくろう!と確認する。眠たいらしい。

みんな、それでいいよ。


そこに検札がやってきて、今日は5人予約はいってるよ。

でも、デンマークの田舎の駅から、中年のやせた、目つきの鋭い男性が大きな荷物とビールの6本ケース

を抱えてはいってきた。ぎょろぎょろと見渡し。笑いもせず。ビールをぐいぐい飲みだす。

アメリカンは食堂車へいってしまう。


すると急にもう1本出して、私にあげるという。

ドイツのオジサン羨ましそうにみるので、私はそれをおじさんに薦めた。

トイレばっかっり、いくのは嫌だから、ここは我慢。



momoのブログ

そんな感じで夜がふけていく、アメリカンも帰り、みんなで色んな話をして、ドイツのオジサンもう10時過ぎたのに

ビールを飲んだせいか、楽しそうに話続けている。


私が11時だから、ベッドをそろそろ、、、と言い出すと皆がOK


、チェニが私にケルンに着く前に起こしてくれ、、と頼む。

私が気が付いたら起こしてあげるけど保障ないよ!と付け加える。


皆でベッドをつくり、眠りにつく


あまり眠れないまま、気が付くと6時まえ、3階に寝ているチェニを叩き起こす。


有難う!チナ

私はチナと違うよ。JAPANだよ。

ぼくにはわからないんだ。チナ!

有難う。チナ!と繰り返しながら彼は出て行った。


私とアメリカ人だけがのこり、明るい朝をむかえた。あと4時間の我慢。

彼女がコーヒーを買ってきてくれた。

お金はいらないと言っておごってくてる。


色んな話をしているとすぐ時間がたって


彼女の娘は馬をかっていて、彼女はこーぎー犬をもっているとか

福島はどうなったとか


話題はいくらでもある。


そんななかで1時間おくれ、9月6日アムステルダム中央駅に朝11時頃に着いた。

面白い旅だった。