
7月13日、今日は郊外へ一日ドライブ、ホテルが提供したツアーである。人数割制で払うから
人数が多いほどやすくなる。
だから私はロビーに来るとオーストラリアの25歳、キャンベラからの青年に進められてよさそうだから参加した。9:00~17:30の丸一日ツアーだ。
きつい太陽の照り付ける。石段をあがったり、さがったり

オーストラリア1一人、アメリカ1人 ソルトレイク、スェーデン1人 コペンハーゲン
フランス人の母と娘、そして私 計6人
ところが運転手はアラビアとフランス語、で英語ははなせない。
まぁ、いいか
車内ではフランス人親子をのぞいては、みんな英語で会話。旅の情報交換したり、お菓子をもらったり、結構楽しい雰囲気。

フランス人はほどんど英語をはなさないし、
モッロコの歴史はとても古い紀元前3000年ぐらいにはベルベル人が住み着いていたらしい
、そのあとフェニキア人が到来、ローマ時代、さらに東ローマ時代、そして610年に西アジアで、イスラム教 アラブ人のムハンマドによって伝達、その後ウマイヤ朝とつづいていく。
私は本で調べただけ、深い知識はないでも、遺跡を見ていると、ここを当時の人がどんな服を着て、どんな風に生活していたのかを想像するのが好きである。

遺跡を歩いていると、乾燥した台地にも、棘のある植物が何種かなっている。そのほとんどが簡単にさわるとひどい目にあいそうだ。
そのとき、ふと思い題した1989年、私の小さな三人の息子達をつれて、ヨーロッパを二か月ほどかけて、行き当たりばったりの旅の果て、イギリスに住み着いたことを、、、
今から思えば女ひとり、10歳をかしらに5歳4歳をつれていた。
アテネのパンティオン神殿のことだ。長男が何気なく触った草木に目には見えないほどの棘がいっぱいついていて、彼はひどい目にあったのだ。
またこの雰囲気はトルコのエフェスやパムッカレにもにている。やっぱりきつい太陽のしたを子供たちと歩いたのが同じような日々だったのを

なるべく影を選んで

昨日も書いたが、ありがたいことに体力が十分もっている。健康に感謝だ20代の彼等とも遅れることもない。私自身ゆったりとゆとりさえある。
普段真面目にプールで1キロ以上泳いだり、ウォーキングの訓練を日本でもしてきた。行くときめたら怠惰な性格も変化する。

物売りはどこでもやってくる。フランスのお母さん冷やかしである。

物売り:アンモナイトの化石を売りつける


丘より村を眺める

沢山歩いたので、やっと昼過ぎ、メクネスに到着、みんなお腹がすいている。
その時である。いつものごとくガイドは我々をあるレストランへ導いた。お腹が空いていたので、
いそいそとクーラーのガンガン聞いた高級レストランへ、ほとんど客の姿がみえない。
私はいやだな。こんなとこ、、とおもいながら
さっそく、着席したらメニューが配られた。それを見た途端、何とツアー料金をはるかに上回る
料金。
AUからきてる青年、みるとすぐにメニューを放り投げさっさっと階段を下りていく、フランス人の親子以外はみんなメニューを置いてすぐに店を出た。
我々はイージーターゲットではないわよ。バカバカしい。と私はいった。
スエーデンのソフィーも同感だわ。
其のあとアメリカンとAUはその後ツアーを離れ、大きなバッグを背負いシャフシャウエンへ向かっていった。
私とソフィーは、二人でメクネスの町で普通のレストランを捜して、昼食をとった。

ツアーガイド曰く:4時に戻ってきてね。それまで勝手にどこでも行って
なにこれーツアーなん?地図も情報もないのにどこへいくの?
それでソフィーとふたりで商店街をうろうろ、そしてコーヒーを飲んだり時間を潰した。

メクネスの有名なモスクらしい

モスクの中はイスラム教の人だけはいれる。

メクネスの商店街:ここなら涼しいから
ソフィーは21歳の大学生、英語がメチャうまい。環境の勉強をしている。あとはコペンハーゲンの空港でバイトをして、自給1300円もらってる。とか
12歳の時、中国の厦門に2年間、親の仕事でいたから、中国語が話せて、とインターナショナルの学校にいたので英語はネイティブ並みだ。若いのに国際派、だからとっても話していても理解できる。
最後にコペンハーゲンにきたら、家によってね。って
おせいじでも嬉しい
そして4時に車にもどり、Fezへと帰路につく。
フランス人は相変わらずマイペース、いつも遅れて帰ってくる。25分も遅れても平気である。