Sゲートにつくと、私はそこにいた係員に会社の人と話がしたいんだけど
彼はじゃあ、と言ってデスクに連れってくれた。
そこの女性の白人スタッフ、あなたのフライトは?じゃあS17にデスクがあるから、そこで話して。
何を言ってるんやろう。この人達は人の話を良く聞こうとしていない。
私は繰り返し言った!今日のフライトの話をしてんじゃないの。先日のフライトについてクレームなの、ようするに文句をいいたいの!そして返事をききたいの!とはっきり解りるように、もう一度言った。
じゃあ、なにあなたマネジャーに会って、話をしたいということ。
やっと彼女は理解して、電話をした。そしてすぐにレッドコートと呼ばれるスーパーバイザー
言い換えればマネジャーが出てきて、とても丁寧に
どういうことでしょうか?僕がお話を聞かせて頂きます。
彼は韓国系アメリカ人、アメリカ生まれだと説明した。
私たちは椅子にすわり、私は吐き出すように、先日にいやな体験を話した。
彼は真剣な顔で一生懸命に話を聞いてくれて、一瞬、Discrimination,,、、(差別),と小さく言いかけて、、また
話を聞き続けた。
私もわかっていたがその言葉をはっきり出すべきか、私は考えていたのだ。でもアメリカ国内これは
繊細な問題で法的にも、いまは厳しいので慎重に言葉をえらんで話を続けた。
そして私の希望はこのことの反省と、二度と東洋人、日本人をふくめ、言葉で言い返しできない人がおおいから、もっと丁寧に、親切に、今後は対応することをお願いしたいと要望した。
一応の話を終えたとき、彼は一瞬、座り直し私に向かってこういった。
この会社の一員として、あなたに対しての無礼を心の底からまず謝りたいとおもいます。
その言葉を言ったときの彼の態度、表情で私のこれまでの怒りは半減したように思った。
そして、彼はちょっと待ってください。といってどこかに電話をしていた。
この結果を調査して、回答を必ずすると約束して、今日はまだ時間があるようだから、私はあなたを
ラウンジに招待したいといってくれた。
私は面倒なので断ったが、どうしてもといって、断りきれなくて私はラウンジに招待された。
広い部屋で、大きな窓から飛行機の飛び立つのみながら、なにかほっとした気分でコーヒーとクッキーを頂いた。
向かいに座っていた73歳の白人の女性がNYに住んでるんだけど、ここに友人がいて会いに来たのよ。仕事は2年まえになくなってね。もう若い人に譲ってもいいかと思ってね。
でも今はシルバーセンターで趣味をいっぱいしてんのよ。
中国語をならってるの、歳だから、あまり残らないんだけどやってるのよ、、、、とずっと話をして
私がちょっとコーヒーを取って戻ってくると、私の席は別の人がきてて
彼女は自分の横の席を指さしてここに戻ってと合図した。もっと話を聞いてもらいたい風だった。
彼女は続けた、私、カラオケもしてるのよ。中国語の歌なの。まったく意味はわからずに
その音だけで楽しんでるの。。ほらイタリアのオペラでもそうでしょう!
私は、えっ、、中国語の歌、、だって私も中国語を勉強するのに歌も使っているので、きゅうに興味がでて、ねぇどんな曲をうたっているの?
すると彼女はカバンからアルファベットで音だけをまねた歌詞をだしてきた。
わたしならピンインなんだけど、と思いながらみてみると、その中になんとテレサ テンの綺麗な曲が
あった。
私は彼女に、ちょっとその曲知ってるわ。それにテレサ テンはだいすきなの。だからあなたのその曲を
ちょっと私に歌ってみてくれない?と言ってみた。
すると彼女はなんのためらいもなく
ちょっと待って準備するから、とちょっと咳をして
♪綺麗なソプラノでなんと歌いだした。♪~ラララ
私はびっくりして,まぁ綺麗な声だこと!と言った。本当に澄んだ綺麗な声だった。
彼女嬉しそうにありがとう!って
じゃあ、私はそろそろゲートに行くわね。いい旅してね。
彼女、あなたもね、
☆☆☆☆ ☆☆☆☆
そして私は今、日本にいる。まだ昼と夜が逆である。深夜に朝食をたべ
薄暗い早朝に洗濯をし、まだ薄暗い庭にでて雑草だらけになった私の庭を手入れをしながら
、、旅を振り返ってて、ひとり笑ったり、旅で出会った懐かしい顔を思い出したりしながら、秋の
庭の準備をしている。太陽が照りつけるころ眠たくなって、、、、
彼からは1通のメールが来ている。そして重ねて,
謝ってきている、。彼はそのフライトのF/A(フライトアテンダント)の全員の名前を調べて
責任者に質問状を送っている。そしてそのフライトの責任者はそれを受けて調べることを約束。今さらにその回答待ちである。
他のメールをみると、オーストラリアの息子(三男)から、もう日本に帰りましたか?って
はい、帰りましたよ。無事にね。
そろそろ次のことを考えようかと、、、やっぱり、御転婆は治りそうにない。