私が一人でこの町を歩いて、スーパーはこっちの方にありますか?と英語できいたら
冷たく、その婦人は足早にあるきながらノーエンティエンド!わからん!とスペイン語できっと彼女は英語が分からんといった。
それで私はスペイン語でスーパーマーケットはこの道であっている?って聞きなおすと、彼女はにこっと笑い、はい、そっちだよ。と態度が変わる。
ここではヒスパニック系の人たちがどこにでも一杯くらし、働いている。中米、特にメキシコは多い。いずれアメリカは50年ほどすると、英語よりスペイン語を話し人が多くなるとさえいう人もある。
不法移民も問題にはなっているが、アメリカにとって、これらの人達に経済に貢献する大きな部分
で、これ等の人達なしではありえない。また身体を使って良く働く。
ホテルでの下働きから、レストラン、スーパーどこでも多い。
広いホテルで迷っていたら、声を掛けてくれた人はメキシコ人の案内係、私がスペイン語で話ととても喜んで、なんでスペイン語できるの?
私、メキシコにもいて、特にグアナファトは大好きなんです。
彼女は眼を輝かせて、、ちょっとこっちへ来てよ。この男性はグワナファトからきてるのよ。
彼は言った。あこはいい所だろう。あこで生まれ育ったんだよ。
私、はい、もちろん町もいいけど、音楽も最高ですよね。あの町はとってもすきですよ。1か月も
居たんですよ。
なんて話題でもりあがる。
彼らは、ここアメリカに来て、一生懸命働いて仕送りしたり、生活を良くするために働いてきた。
先日郊外へ行ったときも、スーパーで買い物をしていたら、最初は笑顔も見せなかったレジにいた女性とおじさんがスペイン語で話してたので、私もスペイン語で加わった。彼はキューバ人、私も、キューバは良かった。特に音楽とキューバコーヒーはといったら、本当にうれしそうに色んな話をして、女性もエルサルバドルから来ているといって、皆、国を離れて稼ぎにきている。ここに住み着いて子供を育て、それぞれ皆どこでも同じ。国に話をするのはきっと懐かしく、嬉しいのだろう。海がとってもきれいだよ。って
でも言葉一つで仲間にいれてくれる暖かい移民に人達がいっぱいいる。
私はアメリカが特に好きでも、嫌いでもないというか、、、、
でもある体質、、、が問題だと
先日の話に戻ると、私はソルトレイクに着いたときに、怒りが抑えられずに、今度は出口に居た
フライトアテンダンツチーフにその問題をいずれはっきり別の機会に答えを聞くと
残念ながら時間がない。乗り継ぎが1時間後に迫っていたので落ち着いて。別のチャンスを探してはっきり回答をほしいと、、、、
言っていたら、別の女性係員、がここで話すと邪魔と言ってきて
私はこの女性も同じよ!私が三回も頼んだのに、、駄目で
アメリカ人男性にはなんでも許して、、、なんかへんよね。男性にはとても親切ね。とはっきり言いかえしてやった。
彼女は矛先を急に変えて怒っている私に何も返事できなく、ボッーとしていた。
それは、席の問題だけではなく、他にも耐えがたいことがあり。
国際線リマからは、私がチャランゴ(ボリビアの小さなギター)を持っていて、係員がそれ貴方が弾くのと笑みでジョークを飛ばし、私はこれは調律をしてきて繊細だから足元でキープすると言って
も勿論よ。どうぞ!と笑顔でかえしてくれた。
ところがこの国内線アトランタからは、一切聞き入れず、えらそうに上の棚にのせろとばかりに別の中年の係員がどなるように、でも私は三回ぐらい繰り返したのんでみても、耳がない感じ
余りにもた対応の差、おなじエアラインとは思えない。しかも離陸の後、、横をみるとアメリカ人の
オジサンたちの足元にははるかに大きな荷物を持った人は一杯いるではないか。。。。
そのとき、やっぱり、なぁ、、、と実感した。
これは国際線では、ほとんどこんなひどいことは起こらないと思うけど、国内線、特に南部はほかのことでも、差別がつよいエリアだ。台風カトリーナが来たときの対応などは本当にひどかったことを
覚えている。古い話になるが16歳の留学生、服部君が家を間違えてノックして射殺されたのも
南部だ。
日本人やその他のアジア人には、これまで、いや今も偉そうに言っているに違いない。相手がほどんど、言葉の問題が大きいが、彼らは早口の英語でまくしたてるのに対して、負けずに反論できないことを仕事を通じて十分知っていて、こんなことを繰り返しているのだ。
本当に卑劣なやり方だと思う。
60歳の女性チーフは、私が日本人はほとんど反論も抗議もしないでしょう!言葉の問題もあるし!と
いったら、はっきり。そうです。と認識していた。
あなたは違うは、あなたの英語本当に上手と、、、そこで褒められても関係なく、このことは今残念ながら時間がないから、必ずクレームオフィスで、必ず必ず申し立てをして、回答を貰います。と
強く行って、次の乗り継ぎに急いだ。
彼女は自分からも報告書を出しておくと言っていたがどんな報告書になるのか。見たいものだ。
そんなわけで、その後、事務所もここリノの町にはなく、次の乗り継ぎで調べてみるつもりだ。
まだまだ、収まりません。思い出したらまた怒りが込み上げてきた
人間のこころの暖かさ、大事ですね。
白であろうが、黄色であろうが、黒であろうが、見てくれより
虐げられたり、苦労してきた人の方が恵めれて生きてきた人の方よりはるかに立派で
こころ暖かい人が多い、、この旅でも深く感じた。
機内で席を替わってくれたのも。黒人紳士、三列並びの窓にいってくれて、私を通路にしてくれた。
そのおかげで何回も気兼ねなくトイレに立つことができたが
、あとから真ん中に黒人の青年がやってきて、私が怒っているのを見て、きっと僕が臭いと思って、怒ってるんだと言って、その窓側の黒人の紳士に席を替わってくれと頼んでいる。
私はそれを聞いて、大きな勘違いだよ。あの中年のオバサンが卑劣で三人で横並びに座りたいから私の席を、、、と説明して、誤解を解いた。
すると彼はなるほどね。。。とすぐ理解した。いつものことだ、、という風に
そして機内から外に出てきたら大きな中年白人のオバサンが私をみて笑っていた。きっと私が怒って抗議していたのを聞いていたのだろう。
私は言った。今日このフライトでアメリカが大嫌いになったわ。それにこのエアラインも大嫌いになっ
たわ。でもあなたのことは大好きよ!と冗談をいったら
彼女も大きな嫌いのなかの小さな好きね。ありがとう!と冗談を返した。
私も笑って、Have a good day!と言って、次の乗り継ぎに走った。