辞書から参照によると


イキケ地域には、紀元前7千年以上前から人類が居住していたことは判明している。西洋人によって発見されたのは16世紀 のことである。その後、スペインの植民地 を経て、19世紀末にはぺるー 領となっていた。

19世紀末におけるイキケの主要産業はアタカマ砂漠で産出される硝石によるものであった。この硝石をめぐり、チリとペルー・ボリビアの間で1879年 から太平洋戦争 が行われ、イキケの海戦が行われている。戦争の結果、イキケはチリ領となり、ペルー人はペルー領へ移動した。1907年 には、鉱山労働者と警察が衝突し、大規模な流血の事態となっている。


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プラット広場


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この国の人も鳩が大好き、鳩は手にまで乗ってくる。

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後ろに高い山があるからか、いつも曇ったような空、でも強い太陽の下を旅してきた
私にはこれは心地よい

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ここに初めて着いたとき、中国系の人が親切にも私の荷物を持ってどこのホテルに行きたいのか
と聞いてくれてずっと案内してくれた。本当に親切、彼は10年住んでいて奥さんはチリ人
満州の人だった。私が中国語が理解できるので、彼は拙いスペイン語をやめて中国語で話しかけてきた。
でもスイッチが入ってなくて混乱、、、でも彼は中国と日本は近い友人です。昔、昔は同じだったと思います。
だから親切にしたいんですと。私は凄く感謝。
中国人嫌いっていう人多いけど、私はこれまで色んなひとにあってきて、国だけでは人を
絶対に判断することは間違ってると思うことがよくある。庶民と政府とはちがうし、、

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ホテルで美味しいシーフードレストランを教えてもらう。少し遠かったけど
山から下りたら絶対に美味しいレストランに行くぞ~って決めていたから、向かっていたら
日本のガイドブック持って歩いている男の人、久しぶりの日本人
話したら彼も昼ごはん探していたので一緒に行こうということで


南米では特にアルゼンチンやチリは日本人みない日が何日もある、ひょっとしたらこの町には日本人は私がひとりだけではないかしらと思うことがよくある。カラマもそうだった。


だから日本らしき人を見かけたら。お互いに久しぶりの日本語なので、すぐに親しく話ができる。これは年齢や性別関係なく、なんか懐かしくて、情報の交換とか


私の場合はバックパッカーホテルに行かないし、日本の旅行ガイドにあるホテルを選んでいかない
から余計日本人には会うことがない。




そのレストラン、当たり★★★★★、お昼の定食

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野菜たっぷりの鱈のスープ、ハーブきいて美味しい

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鱚の天ぷらに野菜サラダ。他にぺブレとパン、それにビール、カフェ
満足の味でした。
一人約1600円ぐらい

ビール クリスタルもベリーグッドでした。

明日もここに居たらもう一度こよう。










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時計台