最近、ランニングをしながら音楽を聴いている人をよく見かける。
私もたまに安全な場所でロング走をするときなどはヘッドセットをつけるときがあるが、基本的には音楽を聴きながら走ることには反対だ。
よく安全面で反対意見を述べるアスリートがいるが、それも一理ある。
しかし、私は少し違った視点から、「聴きながら走」に強く反対したい。
じゃ、なんで?ってなるわけだが、答えは「自分の声(音)が聴こえなくなるから」である。
例えば、走る時の靴底の音。これが左右違う音やリズムの時は故障が発生しやすい。こころやからだのどこかに変調をきたしているとき、「ズズッ、チャ」とかおかしな音が聞こえてくる。
さて、私はラン練習のとき、必ず自分と対話する。これは、長いトライアスロンのときも然りだ。
「調子はどう?」「天気、最高だね!」「結構体重しぼったね!」等々。
時には、身体のパーツに話しかけることもある。
「左膝。今日は痛まないね」「腰。疲れ残ってる?」とか。
答えは、どこの誰の返答より素直に返ってくる。歯に衣着せずに、だ。
「調子いいよ。疲れてる割に動く!」「調子悪いな。練習不足だし」ってな具合に。
何度も繰り返していると、ある一定の法則に気がつく。
それは、こころもからだも元気なときは限りなく透明な答えがビシッと揃い踏みするということ。
その反対のときは、どうにも助けようのない暗い答えばかりずらりと並ぶということ。しかも、言い訳つきで…。
どちらの流れであれ、対話のあとは決まってある一つの道に辿りつく。
さらなる目標を目指すも、暗闇から抜け出すも、すべては自分次第。練習しかないんだと。
こうした葛藤、格闘は、己に語りかけずして始まらない。一度悶々として、そこから抜け出すには「辛抱」が要る。
そんな力は、いわゆる「ながら」練習からは生まれてこない。
浅井えり子氏も瀬古利彦氏も、各々の著書のなかで、自らの声、音を聞けと盛んに言っている。
だから始めたというわけではないが、私は「自分との対話」を皆さんに強く薦めたい。
一方通行の「聴きながら走」から、双方向の「語り合いながら走」へ。
あなたも今日から「おい、きんにくん!どうなんだい?」と、どこかの芸人さんのように自分のパーツに語りかけてみては?