オスカーはアメリカ人。90年代に沖縄本島の嘉手納空軍基地に6年勤務した経歴を持つ。現在は退役し、サンフランシスコ郊外に在住し、民間企業に勤めている。
オスカーに初めて会ったのは2008年の宮古島トライアスロンのパーティー会場。共通の友人からの紹介だった。
大会の1か月後に半年間のアメリカ出張を控えていた私は、つたない英語でオスカーに渡航予定を告げた。
サンフランシスコ郊外に住む予定だった私は、その偶然に喜び、すかさずメアドを交換した。これが、オスカーとの親睦のはじまりだった。
アメリカに着いてすぐ、カリフォルニア州の運転免許取得に挑戦した。アメリカの実地試験は車持参。オスカーは実地試験で愛車のプリウスを私に貸してくれた。おかげで一発合格!とても嬉しかった。
続いて、何を血迷ったかネットオークションで車を買った。たった半年間の滞在なのに無謀だとも思ったが、何でもやってみたかった。騙されるとやばいというのでオスカーが売買に立ち会ってくれた。
オスカーの友人から自転車を借り、二人が所属するBenicia Bicycle Clubの練習会にも参加した。
米国滞在中は、とにかくオスカーにお世話になりっぱなしだった。おかげで英会話が自然と上達した。
それから、オスカーとはメールでやりとりをしつつ、年に一度、宮古島大会でともに同じゴールを目指してきた。
だが、私は家族同伴、オスカーは旧友ありということで、同宿になることは一度もなかった。
2012年。ことしオスカーと同室だったTさんが抽選で出場権を逸した。折しも、私はことし単独渡航。いままで家族と別宿していた私は、初めてオスカーと同室で旅をすることとなった。
木曜日に宮古入りし、再会を喜びあううちに、あっと言う間に当日となった。
当日は暑かった。スイムを終え、自転車の中間地点でパンク。修理途中で吐き気と頭痛がひどくなった。軽い熱中症だった。
そこからは、パンクの恐怖とふらふらな身体を、精神力だけで抑えつけた。脱水もあり両脚は何度となくけいれんを起こした。
それでもバイクを終え、イチかバチかでランに出発。(ともにランをスタートした親友2人は、このあと猛暑に勝てずリタイアとなった…本当に残念)
さて、数キロ走ったところで沿道の友人たちからオスカーが20分ほど前を走って行ったことを聞く。
思わず「絶対オスカーをつかまえるよ!」とガッツポーズをした。
彼もこの暑さに耐えているんだ。自分だけ泣き事を言ってちゃいけない。ともに走り続ける友人から無形のパワーをもらう。
エイドで氷水をじゃぶじゃぶかぶりながら、ひたすらオスカーを追う。
20km地点で折り返してくるオスカーとすれ違う。コースは21㎞の折り返しだから、オスカーとの差は約2km。時間にして10数分だった。
ところが、オスカーの脚は強かった。追っても追っても姿が見えない。私の位置を見たオスカーもつかまらんとばかりに速度を上げていたのだ。
そのままオスカーをつかまえることができずに約10㎞を走る。ちょうど30㎞あたりでオスカーを発見。エイドステーションで合流した。
しばらく並走したが、オスカーのスピードにはついていけなかった。再びオスカーが前方に消える。私はひたすらそのあとを追った。
再びエイドステーションで会った時に、オスカーは「もう十分走ったから一緒にゴールしよう」と言ってくれた。
その言葉は、明らかに息が乱れて苦しそうな私を気遣ってくれていた。
レース中に他人を気遣うオスカーの前で苦しい顔はできなかった。
「辛い時辛い顔をしても楽にはならない。ならば笑顔!」を思い出す。
最初は無理やり創り笑顔だったが、次第に本気で楽しくなってきた。
残り5㎞。街に入ると宿の皆さんや応援の仲間たちが待っていた。ここではしっかり止まって記念撮影!もちろん笑顔だ!
残り数キロ。夕暮れの平良市内を走りながら、過酷だった一日を振り返るとあらゆる感情があふれてきて、何度となく目頭が熱くなった。
ここまで来るとただただ嬉しいだけ。素晴しい友人とともにゴールできる。このとき、私は世界で一番幸せだったに違いない。
日の暮れかけた競技場の門をくぐると、横断幕と幟を持った友人たちが待っていた。
陸上競技場のトラックをオスカーと友人たちとパレード走行。もう、何と表現したらいいかわからない位の感動。
会場のライトを浴びながら、オスカーと二人でゴールテープを高々と頭上に挙げ、フィニッシュ!
8回目の完走で、初めて天を仰ぎながら「やったぁ~!」と大声をあげてしまった。
(完走後、友人たちからのサプライズケーキに感動)
こんなにも素晴しいときを過ごせるなんて、私は本当に幸せです。
Oscar! You are my best friend!
You are strong. Ryu







