今更感甚だしいけど自分の記録として。
結論としては、前回投稿のしばらく後に治療を再開しそれが実りました。
以前の私と同じように胸騒ぎがする方はお戻りください。
6年前、究極の選択…なんて言ってて仰々しいけど、当時は異動せざるを得ないことになり涙、涙。妊活は自動的にストップ。
しかも異動先が自宅から公共交通機関を使うと100分かかる場所に飛ばされる。(後に所要時間半分の車通勤を希望する)
当然仕事前後のクリニックへの移動も困難。妊活の中断を余儀なくされる。
異動先では暗雲立ち込め、史上最もヤベー奴と対峙することに。頼りにしていた同僚が懐妊し産休で、異動からわずか半年で一人ぼっちに。ヤベー奴がやばすぎて精神的に参り、通勤中に交通事故を起こす。
翌年度はコロナ禍スタート、不穏な社会情勢の中ヤベー奴とガチバトル。病む一歩手前。社長を味方につけながらなんとか切り抜ける。
更に翌年度、ヤベー奴が消え去ったので平和なチームに!産育休明けの同僚とも再開でき、この一年はとっても楽しかった。
この間妊活はストップしたまま。気まぐれな自己タイミング(というか一切の避妊なし)はなんの音沙汰もなし。
この空白の3年間は妊活的には辛かったけれど、仕事の大変さと楽しさで気を紛らわせていた。
このまま終わるのは後悔しかない、やらずに終わるよりやってみようと、クリニック近くの職場に異動希望を出す。
社長がうまく取り計らってくれて、無事に希望の勤務地へ!
ただし、業種が今までと全く違うものに。
新入社員より使えないポンコツさを発揮し、隣の席の入社3年目の若手ちゃんにめちゃめちゃ助けてもらいながら、やっとクリニック通院再開できたのが2年前。
検査の結果AMHが年齢平均より若干(2、3歳程度)低いことが判明。
不妊期間をつらつら重ねた成果?として、早速の体外受精のお許しをいただくことに。
なれない仕事をしながら毎日注射に通い、9個採卵、ふりかけで6個受精、3個胚盤胞凍結という教科書通りのような治療成績。
そして2022年の11月に移植。
移植の翌日にどうしてもやりたかった海SUPへ。
これで駄目なら仕方無いと自分で納得した上で葉山の海を堪能。一応、海にはなるべく浸からないように頑張る。
SUPを心から楽しめたのが良かったのか、なんと一発で妊娠。
初期に絨毛膜下血腫(だったっけ?)により1ヶ月の病休、自宅安静の期間を経て、昨年2023年の7月に男児を出産することができました。
出産時も陣痛からの帝王切開という痛みのフルコースでしたが、なんとか母子ともに生還できました。
我が子をこの手に抱くことができるという、夢にまで見た現実を、産後9ヶ月経った今でも疑うときがあります。
そして、私にクリニックを紹介してくれた上司が言っていた、
治療の末自分に子どもが生まれたとしても、他の人が苦も無く妊娠する様をみると、自分はあんなに治療で苦労したのに…と、心にささくれができて素直に喜べない。
という言葉が大変刺さる。今でもマタニティマークや女性のお腹は、治療中のときとほぼ変わらぬ気持ちでつい見てしまう。
もちろん、その方たちの中には、自分と同じように長年不妊に悩んだ末の成果という人がいるということもわかっています。
頭ではわかっていても。
中途半端ですが、とりあえずここまで。