Alternative Routine Works -9ページ目

通天閣盛男

今日は22時からラジオ。

http://trio4.nobody.jp/keita/index.html

掲示板に書き込み貰えたら、質問答えていきます。

退廃の改新

先程30歳になりました。若干ほろ酔いです。

『豪さんのポッド』を贈呈される。ありがとう。


12/1

雑誌が出た。『M○e○s』では、ビン○ラン最終回&新地・新聞担当。『マン○リーよ○もと』ではM1プレイバック執筆。『関○ウォ○カー』ではオ○ラジ・ンタビュー。今年の仕事納めなんで、暇があれば一読宜しくお願いします。

※○が多いのは検索対策です……。

12/2

映画の誘い。極貧を伝えると「貸すよ」ということで、梅田ガーデンシネマへ。『戦場でワルツを』鑑賞。レバノン侵攻を扱ったドキュメンタリーアニメ。

死ぬほど欝になり、劇場を出るとドイツフェスタが行われていて、無人のメリーゴーランドが空を切っていた。決して平和ではない。


12/3

気絶眠。


12/4

朝からダラケ三昧。ネタ出ししていない為、この3連休取材が入らなかったのである。夕刻、九条へ出向き似非浪漫のK君と合流し立ち飲み屋へ。そして、せんべろを満喫した後、向うはシネヌーヴォ。

Alternative Routine Works-しりふね

先日ラジオで知り合った宮本監督による「尻舟」を鑑賞。忘れていた想いを呼び起こす、非常にショッキングな映画であった。

その後、打ち上げへ参加。巨人ゆえにでかいのMさんが同席していて、色々話が聞けたのが面白かった。現代美術家としての一面を持ち、来年からはNYへ行くという。もちろん、極貧の僕はここでもK君に借金を申し立てる。2時過ぎ帰還。


12/5

遅刻後の、8時間搾取。21時より、素人の乱として某新聞の取材を受ける。テーマは「貧乏だけど人生を謳歌している若者」みたいな感じ。全く謳歌してないが、ビン○ランの話だけは強く主張しておいた。何の反響も感想も無かったから、何とか爪痕ぐらいは残したい。

その後、終電まで森Cと梅田の居酒屋で雑談。帰りの電車内で20代を終える。

東京

11/27

12時間搾取。

11/28

9時間搾取。十三に19時45分着。ここで、過ぎる思案。それは「間に合うのではないか?」という希望。駅から商店街を駆け抜け、目指すは馴染みの惣菜屋。20時半からの半額セールに向けて、貧乏人が数十メートルに渡り列をなすのだが、20時から列の構築が許されるのである。

息を切らせながら、全ては「HANGAKU」の為に滑走する齢29歳のサンライズ。ここまで半額を切望したことなどあっただろうか?謎のタコス屋から「本日閉店です」とナーバスなアナウンスが流されても、悪いが立ち止まってる暇は無い。

店に辿り着き、左手にトレイ、右手にコロッケを掴んだ僕は、最深部のレジ手前に掛け込んだ。いつも、先頭を陣取る厚化粧のババアと、ミニサイズのゴルバチョフ似親父コンビの姿は見当たらない。

ざまあみやがれ。

セール開始までの30分の寂寥感をなんとか耐え忍び、本日の戦利品が詰められたポリ袋を肩に背負い、肌寒い夜道を誰にも祝福されること無く、ただ漫然と歩き家路に着く。

冷え切ったコロッケと100円の冷凍ご飯をレンジで暖め、コタツに包まりながら、惰性で口に運ぶ。テレビからは録画されたお笑い番組が延々と流れ、一方的な笑い声が部屋をこだまする。その焦点は定まっていない。

車のクラクションが耳障りで、その日は換気扇を付けたまま寝た。


11/29

気絶眠。名案内コナンは真っ黒に墨が塗られていた。

晩。仕事の依頼。しかも、先日の日記で紹介した元芸人の編集者から。が、生憎バイトとバッティングしていた為、泣く泣く断り。これで、本当にいいのか?本末転倒もいいとこだ。

金が最高潮に無い為、バイトに重心を置かざるを得ない。実家暮らしの奴が「金が無い」とか主張しているのを聞くだけで、殺意が芽生える。なんて心の狭い人間なんだろう。

何の為に生きている?そして、誰と戦っている?


11/30

9時間搾取。『HB』最新号を読了。同世代ライターが発行するミニコミである。今回のテーマは東京で、インタビューはリリー・フランキー。

中でも目を引く記述があった。それは山本星氏による、自伝的評論。氏が、函館から憧れの東京に上京し、翻弄され退廃して行くまでの過程が克明に描かれているんだが、自分の心情を代弁してくれている項目を見つけたので、以下に抜粋したい。


「そもそもちょっと玄人受けする音楽を聴いて・服を着て・ミニシアター系の映画なんか見てみたって、別に自分の価値が上がるわけじゃない。自分で何かしてるわけでもない。ただ東京って場所に色んなものがたくさんあるから、そこからちょっとセンスのいいものを選んで手にして身にまとうだけで自分が何者かになれたような気になれるだけなんだ」。


東京に居たとき、僕はサブカルのメッカであるロフ○プラ○ワンで働いていた。そして、毎日が信じられないくらい楽しかった。まず、歌舞伎町という立地。そして、憧れのサブカル有名人達との遭遇。楽屋まで酒を運び、立ち話なんて日常茶飯事だった。会う人会う人が有名人で、何かを成し遂げた人達との遭遇は、365日連日続く。二十歳の自分にとっては、まさに夢を見ているような世界だった。

価値観が麻痺していき、プラ○ワンというステイタスに甘んじている自分に気付いたとき、事態はもう手遅れだった。何者かに会って感動する日常は、自分が何者でもない無力さを突きつけらる日々でもある。今思えば、大学に戻る建前を利用して僕は店を辞めたのだと思う。

今でも、その後遺症は引きずっている。何者かに会えば萎縮してしまう。どれだけ仕事をしても、自信が無い。堂々と文筆を名乗れない。「卑屈になりすぎ」との忠告も受けるが、納得行く仕事ができてないのが原因なのはわかっている。


「自分で何かしてるわけでもない」


別に有名になりたいとかを言いたいんではなくて、自分を表現できてないことに、人間らしく生きれてないことに苛立っている。