物心ついたときから、父親の影響もあり野球一筋であった。左利きの私は王選手の一本足打法をまねて遊んでいました。当然小学校も少年野球チームに入り夢は甲子園であった。テレビもプロ野球そして夏休みはひたすら甲子園を観て、いつかあのピッチにと思い目を輝かせていた。
 そんな野球少年に転機がやってきた。田舎の中学校には野球部が無く、サッカーかバスケットの選択に絞られた。近所の先輩がサッカー部に入っていたので、私も経験はほとんどないがサッカー部に入部した。その当時シュートはトウキックしか蹴れなかった。玉ひろいと、ひたすら走らせられた。でも顧問の先生が当時では珍しいサッカー経験者で基本をみっちり教えてもらえた。
 今でも覚えているが、初めて先輩たちと試合をやって3年生との一対一の戦いでボールを奪えたことが、サッカーへ少しずつ傾き始めたきっかけになった。その頃、隣の県の緑のユニフォームの高校が全国大会で活躍していることも知った。一年の秋友達と山梨県大会の決勝戦を観戦に行って見た光景に震えオーラが見えた気がした。終盤になると流れるブラスバンドの猪木のテーマも鳥肌がたった。これだと思った。この大会で勝ちあがった緑のユニフォームのチームが国立で活躍してるのをテレビで観て完全に高校サッカーのとりこになってしまった。
 それまでは、高校に入ったらまた野球をしようと思っていたが、冬の選手権で国立(全国)という目標がはっきりして、サッカーに真剣に取り組むようになっていった。テレビでサッカーを観た後無性にサッカーボールが蹴りたくなったのもこの頃からであった。
 
 高校に進学して高校サッカーを経験できたことが、今では私の誇りで高校サッカーが今でも大ファンです。聖地国立にも何回か観戦に行きました。自宅には帝京が清水東に勝って(武田丸坊主の一年)優勝した年から今年の選手権優勝の富山第一まで毎年かかさず特集される高校選手権の雑誌のが私の宝物です。

 
 
私の高校3年の時は国見と東海第一との決勝戦でした。沢登と同じ年です。