今朝の「あさイチ」(NHK総合)で、花についてのことを放送していた。

その一つとして「シクラメン」を取り上げていた。

「シクラメン」の話…という時、必ずと言えるほど出てくるエピソードが「(布施明の)大ヒット曲」「けれども、ヒット当時には、シクラメンは『香り』が無い花だった。それが、ヒットを受けて品種改良で『香り』のあるシクラメンが作られた」というやつ。

これは、言っていること自体は間違っていない。その通りだ。

ただ、その「香りをつける」という行為が、この曲(歌詞)の裏にあるメッセージの本質をぶち壊してしまった、ということを指摘した発言を、少なくともテレビでは見た(聞いた)ことがない。以下で書いた「小椋佳自身が出演した番組」だけは例外として。

これは、作者の小椋佳自身が言っていたことだけど、小椋佳は作詞した時点で「シクラメンには香りが無い」のを承知の上で書いた。

小椋佳の意図は、香りが無い花をあえて「香り」があるように書くことで、(歌詞のストーリーは)「これは嘘ですよ、作り事なんですよ」というメッセージを潜ませた、そうだ。

なのに「香り」があるシクラメンを作ってしまったことで、この歌の本質的な意味が無くなってしまった。

まあ、それは商業的なことが優先する社会では、なるべくしてなった、仕方ないことではあるけれど。

この歌の文学的な本質は、「香りがない」シクラメンを、あえて香りがあるという『嘘』を書いている、というところにあるということは、無視しないで欲しい。

ついでながら、3番歌詞に出てくる「薄紫」のシクラメンというのも、当時は存在しなかったそうだ。


さらに余談を言えば、この曲のタイトルは《シクラメンのかほり》と書くが、発音としては「かおり」と読むと、わりと最近まで思っていた。

「てふてふ」と書いて「ちょうちょう(蝶々)」と読むのと同じく、単に旧かな使いで書いただけ、という解釈だ。

それに実際、布施明は「かおり」と歌っているし、曲紹介のMCなども、僕が知る限り「かおり」と言っている。

小椋佳によるセルフカバーでは、この部分の発音が曖昧で、どちらとも言い切れない。

しかし、小椋佳が話しているのを聞く限り、あきらかに「かほり」と言っている。

それも1回限りのことではなく、全く別の番組も含め複数のケースで、必ず「かほり」と言っているから、ここは「かほり」と読むのが正しいのだろう。