今回(と言っても、11月1日に放送)の議論を通して、玉川徹氏(テレビ朝日・解説委員)と橋下徹氏の主張のどちらにも、それなりに一定の理解は出来る。

余談だが、二人とも名前が「徹」なのね。あと「玉川」は「たまがわ」ではなく「たまかわ」。まあ、余談。


玉川氏は「英雄」という言葉について「(生放送で)自分が発言出来る持ち時間が短いので…」と言いかけたら、司会の羽鳥氏に「そのへんを短く言って下さい」と突っ込まれ「また短くかよ…」と苦笑していたが、つまり『敬意を持つべき』ということを強く言うために、軍人を喩えにして、「軍人が戦地から無事に帰ってきたら『英雄』として『敬意を持って』扱われるのが普通」「しかし、今の日本には『軍人』はいない。だから、この喩えは日本では成立しない、という部分で言葉足らずだった点は反省している」とした上で「僕が言いたかったのは(命をかけてるジャーナリストには)『敬意を持つべき』ということ」と言った。

僕としては、これは共感できる。

しかし、橋下氏は「少なくとも事実関係が分からない段階で『敬意』などいらない。生きて帰ってこられて良かったですね。それで十分。なにがなんでも『敬意!、敬意!、敬意を持て』なんて不要」という論理。

つまり「敬意」が『必要vs不要』という対立だと単純化出来そうに思える。

しかし橋下氏の言い分はさらに上を行き「でもさあ、玉川さん、テレ朝的にはどうなのよ。自衛隊員が平和維持活動(PKO)で海外へ行って、帰ってきたからって、いちいち『敬意』なんて言ってる?」「商社とか、(日本人の)民間人が世界中に行ってるけど、そういう人が帰ってくるたび『敬意!敬意!もっと敬え』なんて言わないでしょ。そりゃ日本人としてご苦労様くらいは思うけど『敬意』とは違う。安田氏も、それと同じ」という指摘は、どこか違和感がある。

「安田氏は、紛争地に行って、拘束されて、何の『成果』も出せずに帰ってきた。成果が無いのに『敬意』なんている?」と言ったのには、さすがにそれは違うと思った。

玉川氏も「それが、優しくないって言うの」と反論していたが、つまり今の企業が陥ってる「成果主義」をジャーナリストに当てはめ、成果が出せなければダメだと言ったら、命をかけて行く人なんていなくなる。

その思想の危険さを、橋下は知りながら利用して騙してる。

これこそが、橋下徹の本質的な怖さだと思う。