- 前ページ
- 次ページ
7月29日(日)☁ 19℃
7日目
朝、窓に雨☔がかかる音で目が覚めました。
バルト海がグレーです。
ゆっくり朝食
15時30分まで自由行動
10時に荷持を預けてチェックアウト。
8時30分に何名かが預けたそうです。
10時は私達だけ。
後の方達は12時迄部屋を利用するようです。
ホテルを出て直ぐのところ
雨は降ってません。
ヴィル門の前の花市場
城壁伝いにタリン駅に向かいます。
修道僧も行き来したカタリーナの通路
どちらに曲がろうか?
聖オレフ教会
太っちょマルガレータを写すため小高い丘に。
町の最も重要な出入り口を守るため、1529年に建てられた砲塔
直径24m、壁の厚さは4.7m
トラムに乗って見ます。
クレジットカードのタッチ決済
2駅でタリン駅到着
タリン駅
駅前のBalti jamファーマーズマーケット
スイカが大きい!
マーケットの中で軽く昼食
滑走路に雨☔が降った後があります。
気温33度
入国、荷持の受取
添乗員塩野さんが最後まで見守ってくれました。
USA駐車場の迎えにの車を30分以上待ちました。
水戸の自宅には22時30分到着
7月28日(日) ☀️19〜26℃
6日目
ラトビアのリガからエストニアのタリンに!
昨日の強硬軍の歩き方は2万歩以上
足はまだ痛いし、喉が痛い!
24名の中に、体調を崩している若い方がいます。
バスの1番後で横になっています。
タリンまで、309km 約4時間30分
私達の窓は太陽があたって暑い。ガーデンを引いても暑い。
途中
国境越え
エストニアに入ります。
チキン
ホテルにチェックイン
オリジナルソコスヴィル
荷物を置いて、トイレを済ませて、街歩き開始。
キーク・イン・デ・キョク
15世紀末、町の防御のために造られた。外壁に砲弾が埋め込まれている。
エストニアの人間の鎖
小高い丘にありました。
アレクサンドルネフスキー教会
トームペア城 のっぽのヘルマン
大聖堂
展望台 バルト海が見えます。
カモメがチーズを貰ってます。
聖ニコラス教会
1人20€で入場し、エレベーターに乗りますが、6人しか乗れないので、時間がかります
パイプオルガンの演奏をしてます。
ロシア大使館の前で反戦の抗議
もう疲れました。
ホテルで夕食
やっぱりビールがか美味しい!
たっぷりバスタブにお湯を入れ、足のマッサージ。
7月28日(土) ☀️ 19℃〜26℃
5日目
7時〜朝食
東京、横浜からいらした女性2人とご一緒しました。
どちらもスラットして、キャリアウーマンタイプ
おしゃれです。
子供がなんと27才で同級生だって!、
今だに仕事をして、旅行も家族、友達同士で行っているそうです。
今、幾つなんだー?
8時30分 市内観光へ
今日は1人2席の日。
朝食が一緒の2人も。
なんだか、割に合わないなー
バスには30分も乗りません!
申し込み順だそうです。
リガ市民の台所
中央市場
飛行機の格納庫を利用してます。
これから歩いて観光です。
石だたみが歩きにくい!
リガ城
三人兄弟
素敵な音楽が🎶
スウェーデン門
城壁
着いて行きます。
ロシアの科学アカデミー
トラムに乗ってホテルに帰ります。
石畳をいっぱい歩いたので、足が疲れました。
まだ早い時間なので、お湯は熱かったです!
日没 21時40分
7月26日(金)18〜21℃ ☁☀️
4日目
7時〜朝食
8時30分ヴィリニュスのホテル出発
約1時間45分バスに乗り
カウナス到着
旧日本領事館
バスを降りて、10分位歩きます。19℃位 歩いても暑くありません。爽やかです。
第2時世界大戦初期、ナチスの迫害を逃れ、日本通過に活路を求めてきたユダヤ人に、杉原千畝は日本政府の命令に反し、ビザ発行を決断し、約6,000人もの命を助けます。
杉原千畝の執務室
歩いてカウナスの旧市街散策。
ヴィタウタス大公教会
洪水ではここまで、水が上がりました。
白鳥に例えられる 旧カナウス市庁舎
文学博物館
15世紀半ばにハンザ同盟の代表部が設けられ、そののなごり
熱中症にならないように霧が出ています。
でも、今日は19℃位 涼しい!
カウナス城
バスが待っています。靴を製造していた建物。壁の絵 靴を履いてません
ミュージカル劇場の前を通り、昼食会場へ
シャルティバルシェイ
(ビーツの冷製スープ)
ツペルナイ
じゃが芋で作ったもっちりした生地に、豚肉が入ってます。
食べ応えがあります。
ドイツの飛行船ツッペリン号からの由来だそうです。
1つしか食べられませんでした。
ワルシャワで集合時間に来られなかったご夫婦と一緒。
シャウレイまで、約2時間30分
途中のドライブインでトイレタイム
何処までも広がる平野
麦畑、牧草
コウノトリが高い所に巣を作っているのが見えます。
十字架の丘
自分で選んだ十字架を残すために買います。
最初の十字架は1831年のロシアに対する蜂起の後、処刑や流刑にされた人々の鎮魂のために建てられたそうです。
ロシアはKGBと軍はブルドーザーで何度もなぎ倒したそうですが、その都度、夜陰に紛れて新たな十字架を建てます。
墓地ではないので、明るい感じです。
訪れる人達が十字架を残していくので、現在も膨らみ続けています。
ラトビアに向けて約3時間バスは走ります。
100万本の薔薇の音楽を聴きながら。
(ラトビア、ロシア、日本の加藤登紀子さん)
国境は旗が立っているだけでした。
ラトビアのホテルにやっと到着
ホテルのレストランでバイキング。写真を撮るのを忘れました。
ご一緒した方は香川出身、千葉の四街道が終の棲家だそうです。
まだ外は明るい
10階の部屋から
夕日が落ちます。21:27
今日の移動は長かった!