以前、東京の練馬に、ごま寺(もちろん、ごまは本名の苗字です)といお寺があって先祖が遡れるなんてことを
記事にしたことがあるのですが、その続きです。

以前は、お寺の過去帳から ごま家の先祖は新田家(新田義貞が有名です)の家系なのは知っていまして、
最近になってネットで色々と調べていましたら、その先がわかってきたのでそのあたりを・・・・・・ということ
で続きに至ったわけです。

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新田家の家系図。ここに練馬のお寺の過去帳に記載のあるご先祖様の記載があります。

新田家は、群馬県の太田が本拠地ですから太田を訪ねたわけです。

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ご先祖様が関係しているらしい赤城太神宮。

新田宗家の神社は、新田金山城の山頂にあって今でもきちんと整備されているのですが、こちらは分家ってことで寂れている感じです。









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神社の説明には、きちんと ご先祖様の記載がありました。
















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ちなみにお昼は、上州名物おきりこみ。

ほうとうより麺が太いうどんって感じですね!














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新田義貞と言えば、稲村ケ崎での伝説が有名ですよね。

小学校のころ、稲村ケ崎に遠足で行って銅像を見たりしていましたが、凄く薄いかもしれないけれど血のつながりがあるなんてことは思いもしませんでしたね。




















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その後、新田宗家の累代の墓石があるお寺へ。

墓石に柔らかい石が使ってあるせいか、文字はほとんど読めない状況です。






















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最後に、ご先祖様が 新田から ごま に姓を変えた由来の場所へ。当時、新田家から分家する次男以降は、分領された土地の地名を名乗っていたようで、ごま家も同じように、この土地の地名を名乗ったようです。

今は、真言宗のお寺さんですが、ごま館跡とも呼ばれているようです。





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お寺の境内にある、ごま館跡である証拠(らしい)。

見てもなんだかわかりませんでしたが。
















今回、色々と調べたら、新田家と対立した足利家がもともと同じ血筋だったり、新田家は、源家の血筋だったりといろんなことがわかってワクワクしたりしました。あと、徳川家康が新田家の血筋だって言ったのも征夷大将軍になるには、源家の血が必要だったために新田宗家から分家した得川家があり、それに德川をこじつけたとか・・・・・・ホントに今まで知らないことがいろんなことがわかって楽しかったですわ!

ということで、ルーツを訪ねてでした~!