多くの人の心に埋まっている劣等感。
これを掘り出して、向き合うチャレンジを今、
うちの受講生さんたちにゆるゆると勧めています。
や、無理にやる必要はない。
ロールプレイのクライアント役として話すネタがないとか言うから、
だったら自分のことに向き合ってみるのもいいんじゃない、という程度。
っていうか、
自己理解・自己開示をあたかもカウンセラーとしての登竜門のように言って、
(実際そのままの言葉でほぼ強制する指導者も何人もいる)
できないからダメだ、みたいな教え方は、
行き過ぎるとサディズムになってくる感じがして趣味じゃない。
根性論が嫌いなんだよね。
厳しくするのには、明確な到達点や、
一貫した方向性のプロセス、つまり”様式美”が必要だと思うんだけど、
カウンセリングに関してはそういうの、ないんだもん。
あると思ってる人は、厳しくすればいい。
でもわたしは、ないと思う。
カウンセリングの到達点は、
カウンセラーとクライアントの納得によって毎回作られる。
とっても個人的なもの。
カウンセラーの「在り方」は、そのカウンセラー本人の独自のもの。
他の人が真似することは究極、できない。
そしてそのぶれない「在り方」っていうのは、
カウンセラーが自分を知って、フラットな状態でいる時に見つかるもの。
厳しくされてる時、つらい時には見つからないの。
だから厳しくするのは超無意味なんだけど、
ただ、劣等感をこじらせたままフタしてしまっとくと、
これまたじわじわ日常がつらくてフラットには到底なれないわけです。
「できない」ことをただ「できない」、って受け入れたらいいだけなんだけど、
「できない」から「自分はダメ」とか
「できない」から「人に嫌われる」、
「できない」から「人に攻撃される」、
「できない」から「この社会で生きてる資格ない」、
とかまで、身体に刷り込まれている状態が
こじらせてるねーってことです。
できなくてもいい。
できなくても、好きでいてくれる人がいる。
できなくても、できても、生きることには関係ない!
と心から思えれば、
フラットな状態への大きな第一歩ですよん。
ちなみに、フラットな状態と、
夢を叶えるとか、自分を成長させるとか、自分の価値を世界に還元する、
という「前に進んでる状態」を両立させるためには、
次の一歩なのか、100歩なのかが大事になってくるんだけど、
ま、まずは劣等感から自由になると、
人の話をラクに聴けるよ!


