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毎日が実験。人の気持ちがわかる人になるブログ

人の気持ちがわかるようになりたい人に教えています。
趣味はビールを飲むことと、和服を着ることと、自分の子を観察すること。
聴くチカラ検定の開発担当。

多くの人の心に埋まっている劣等感。

これを掘り出して、向き合うチャレンジを今、

うちの受講生さんたちにゆるゆると勧めています。

 

や、無理にやる必要はない。

ロールプレイのクライアント役として話すネタがないとか言うから、

だったら自分のことに向き合ってみるのもいいんじゃない、という程度。

 

っていうか、

自己理解・自己開示をあたかもカウンセラーとしての登竜門のように言って、

(実際そのままの言葉でほぼ強制する指導者も何人もいる)

できないからダメだ、みたいな教え方は、

行き過ぎるとサディズムになってくる感じがして趣味じゃない。

 

根性論が嫌いなんだよね。

厳しくするのには、明確な到達点や、

一貫した方向性のプロセス、つまり”様式美”が必要だと思うんだけど、

カウンセリングに関してはそういうの、ないんだもん。

 

あると思ってる人は、厳しくすればいい。

でもわたしは、ないと思う。

 

カウンセリングの到達点は、

カウンセラーとクライアントの納得によって毎回作られる。

とっても個人的なもの。

 

カウンセラーの「在り方」は、そのカウンセラー本人の独自のもの。

他の人が真似することは究極、できない。

そしてそのぶれない「在り方」っていうのは、

カウンセラーが自分を知って、フラットな状態でいる時に見つかるもの。

厳しくされてる時、つらい時には見つからないの。

 

だから厳しくするのは超無意味なんだけど、

 

ただ、劣等感をこじらせたままフタしてしまっとくと、

これまたじわじわ日常がつらくてフラットには到底なれないわけです。

 

「できない」ことをただ「できない」、って受け入れたらいいだけなんだけど、

「できない」から「自分はダメ」とか

「できない」から「人に嫌われる」、

「できない」から「人に攻撃される」、

「できない」から「この社会で生きてる資格ない」、

とかまで、身体に刷り込まれている状態が

こじらせてるねーってことです。

 

できなくてもいい。

できなくても、好きでいてくれる人がいる。

できなくても、できても、生きることには関係ない!

 

と心から思えれば、

フラットな状態への大きな第一歩ですよん。

 

ちなみに、フラットな状態と、

夢を叶えるとか、自分を成長させるとか、自分の価値を世界に還元する、

という「前に進んでる状態」を両立させるためには、

次の一歩なのか、100歩なのかが大事になってくるんだけど、

 

ま、まずは劣等感から自由になると、

人の話をラクに聴けるよ!

子どもたち、駆け抜けました。

長女さくこさん、写真では最近滅多にない笑顔です。

次女むぎこさん、お友達いっぱい来てくれてドヤ顔です。

 

第3部の創作幕物で、姉妹は同じ「森の楽団」の役をいただいていたので

衣装が同じ。

今年は、発表会運営が「子どもクラスは上のクラスが下のクラスの面倒を見る」という方針に切り替わったので、保護者は裏の裏方。

それでも、完成度の高い舞台とは事前準備が命であってかなりのハードワークでしたよ。。。

 

本番直前のfacebook投稿。

 

発表会間近で先生のご指導もクライマックス、
裏で支えるママたちのテンションも、疲労度もかなりなことになってきましたー(≧∇≦)

楽屋や写真撮影の準備で本当にこまごまといろんなことが起こっている。
今回から保護者はほんとに裏方で、
子どもたちは上のクラスが下のクラスの面倒みたり、
自分たちで本番用シニヨンやメイクまでチャレンジしたりで
いつも以上に自律、
プラスアルファが求められてる!
ここには書けないようないろいろ^^;;

でもやっぱり、子どもたちを一人前に扱って、
最後の最後まで可能性のギリギリに高い要求をしてくださる先生は心底すごいし、
子どもたちの心に確かな美意識が育ってるのをひしひしと感じるんだ。
バレエに対しての気持ちは、特に娘1さんは揺れたりもあるけど、
ここのスタジオで舞台が踏めることがわたしは、とても嬉しいのです。

うちの子らはどうやらタフらしく、
わたしががさつでのんきだからなのかもしれないが
よく寝てよく食べて本番をめっちゃ楽しみにしている。
お稽古終わりは、
今日もにく!!!

 

 

終わってみて、

子の年齢やバレエとの関わりで、ママたちから複雑な声も聞こえてくるけれど

うちの方針は、

ついていけるとこまで黙ってついていきます。

に決めています。

 

我が家の教育は、短くまとめると

「親の好みは伝えるけれど、基本的に自分のことは自分でやって。

親が忙しい時のんびりしたい時は家の手伝いもいっぱいやって。」

ということでよく言えばほぼ対等、悪く言うとゆるいのです。

厳しさというものがない。

 

キャラにないことはできないし、
厳しくするほどのポリシーがないってことなんですが、

家がゆるいので、これは! という世界のために厳しくされるのは子どもにとってもいいなあと思っています。

 

いやー、惚れ惚れする舞台だった。

教室10周年で先生の美意識が炸裂していた。みんなよくついていってた!

 

感動の発表会を経て、

さくこさんはいよいよトゥシューズのクラスへ。

むぎこさんも難しいクラスに上がっちゃうよ。大丈夫かな^^;;

還相の慈悲。


お坊さんじゃなくて、カウンセラーも目指したらいい世界ですね。

大事なのは、あり方や心の持ち方を、
言葉で理解しても、
見た目に真似をしても、
自分がそうなることとは別で、
でもいつかそこにいけるんだ、って思いながら
高みを目指すってことではないかなあ。

見た目の差は0.5秒。つまりわからない人には見分けすらつかない。
ってことでした。確かに(≧∇≦)

古巣の大きい団体は、カウンセリングの「マインド」中心に教えるところで、

何をもってできるようになったか、本人がわからないまま資格をもらって卒業する人がとても多い。

 

資格発行の「到達レベル」は明文化されてる。

教える側には、この人はできてる、この人はできてない、

というのは共通認識ができる。これだけでも、すごいことではある。

 

でも、何をどう教えたらその到達点に達するのかを、

トレーナーたちではっきりわかっている人は少なかった。

教えるカリキュラムがとても優れていたので、多くの人がその期間を過ごせば、

ある程度には到達するようにできてた。

 

わたしが、技術指導ができるのは、古巣で数少ない、

技術よりの教え方ができるトレーナーの大先輩との出会いがあったから。

 

資格をもらった後、次のレベルは何ができるレベルか、

どういうトレーニングで進めばいいか、

教えることができる。

 

できるんだけど、教わってすぐわかるとか、すぐできるとかではない。

ちょっとジレンマなのは、技術を教えてもマインドがやはり大事な部分もあって、

集中して同じことをやっても、短時間でできるようになるとは言えなくて、

しかもやってる方も、指摘されたことが具体的にどう改善できるのかが非常にわかりづらいってこと。

 

だって、見えないもんね。

それで、還相の慈悲っていう言葉が非常にしっくりきたのです。

教わってるほうは、ほんと、忍耐だなあー。

 

そして教えるほうも、それがわかるので、

ジリジリするのだった。

 

ジリジリしたんだけど、

「はからない」、わたし的には「受講生を信じる」ことに決めて

いいんだなって最近は、わかってきたところ。

これもまた還相マインド。

 

 

 

対人援助職としてどうありたいかも、

わかりかけてきた。ちょっとずつ。

頭でわかってるのと、カラダでわかるのと、全然ちがうね。

 

わたしはキャリアカウンセラーではないんだけど周りにはそういう人もいるし

そっちを目指したい人もたくさんいる。

キャリアカウンセラーとかコーチって、目標設定をさせて達成まで走らせてなんぼの仕事なのね。

モチベーションをいかに起こさせて、持続させて、向上させるか。

 

キャリアカウンセラーは未来開発。

カウンセラーは現在適応。

セラピストは過去の傷癒し。

 

とかつておっしゃった、バリバリのキャリアカウンセラーの先生がいらして、

わたしも若くて元気者だった時は未来がイイ! と思っていたんだけど、

最近は、ザ・キャリアカウンセラーの価値観の人とはしっくりいかないことがわかった笑

 

目標に向けてがんばるのって悪くない感じがするけど、

ほとんどのキャリアカウンセラーさん・コーチさん・そして彼らを必要とする人たちは、

現状否定から入るんだ。

今の自分がダメだから、大きい目標を持って、あそこまで到達したいんだー!

ってさ。

 

いやわかるよ。よくわかる。

わたしだってそうだった。

 

でもこれ、疲れるしまじでうまくいかない。

いつまでも「今」に満足できない考え方。

 

成長はするよ。こうやってがんばったことで得られたものもいっぱい・・・少しはあった。

そう、努力で得られるものは確かにある。

でもこれ、奇跡のチャンスボールを逃しちゃうの。

 

いろんな人のいろんな言い方を今までにも聞いているけれど、

まだきつねさんの魔法講義の余韻が心地よく残っているのでその表現で。

「奇跡は余白にしかやってこない」

 

努力して、狙いに狙って実現できる奇跡は1割。なんだそうです。

でもわたしは、5割とか、8割とかを目指したいの。

だから力を抜くのです。

今の自分を受容して。時々怒ったり、好きなこと以外はものすごーく怠けている自分も受容です。

 

現状維持にこだわるってことじゃないんだよ。

行きたい方向に、軽やかに行く、やりたいことを満足するまでやる、

そうすると自然に成長もしているし、前にも進んでいるのです。

きつねさんに教えてもらった呪文をつぶやいてみる。

 

仕事を大きく変えて、3ヶ月以上がたって、

見た目にも生活にもわからないと思うんだけど

内面的に大きな発見があってびっくりしていたところだったので。

 

年度末は前の仕事の引き継ぎや各種後始末、4月から連休までは

子どもの入学と発表会まででてんやわんやだったというのもあり、

まあーそれなりに気が立っていたのかもしれない。

 

にしても、自分の中にまだこんなに怒る要素があったのかと、

ほんとに驚いていたのです。

怒るって、疲れる。

 

 

数日前のfacebook記事より。

 

感情的に乱されるとき

プレッシャーがあったり、アウェイな場面で、

萎縮したり構えたりすると

物事がうまく進まず「本来の自分を見失う」。

自分を信じる気持ちを忘れる。

人に「評価的に見られる」ことが気になり、

逆に相手を評価的に見てしまう。

いやー、そういう体験を久しぶりにしました。

怒りとか、劣等感って、すごい威力のある感情だなあ。

思い出せてある意味よかった。

ちょっと抜けつつあるからこれが書けます。

こういうの、

「箱に入った状態」っていうんです。

人の欠点ばっかり目につくようになったら、

「あ、箱に入ってるな。出よう」って思えるといい。

出るには、

セオリーでは「相手に先にやってあげる」ってことになってるんだけど

(自分がやれるのに先延ばしにしていることの正当化のために自ら箱に入っちゃう、という考え方)

いきなりそんなキャパを広げることは無理だ、ってこともわかった。

まずは、ガス抜きが必要!

冷静になれば、箱から出る方法がわかるよ~。

そして誰かが落ち込んだり、怒ったりして「自分を見失ってる」時に、

どうやったら手を差し伸べられるか、も、具体的に思い出した。

まだまだやれることはいっぱいあるじゃん。

 

 

この時点で多少、客観視の余裕が出て、

さらに呪文で浄化が進みつつある、、、気がする笑

 

今回怒った内容はどうでもよくむしろ流したいのだけど、

まだ人間らしい感情がいろいろ湧いてくるということにはとても関心がひかれる。

 

前の仕事、「地元で教室を開いてる先生」の時、

仙人のように暮らしていたのは、

リアルに悟っていたのではなくてある種の役割的覚悟がそうさせてたんであって、

新しい環境を作ったら、まだまだ新しい自分を発見するんだなーって。

 

自分の「知りたい」が貪欲だ。